若王莽を昔に設定したのに、長い王莽伝内若い頃の事績は殆ど大司馬王鳳の看病時代のみで、危篤の王鳳に推薦され黄門郎になる23歳、王商、陳湯ら世の名士多数に推挙され新都侯となった29歳まで冒頭から僅か10行で死に設定感ある。
陳湯列伝等の記述や「行間」の権謀術妄想で無理やり埋めはできるけど…
本を整理してたら項羽と劉邦の「驕る劉邦」の巻をダブって2冊買ってた事が判明したゾ🙄
改めて彭城の戦いがパナいっすね…
賈復が負傷した敵は偃王尹尊でなく鄧奉で、劉植は密県の賊との戦で討死しており(と言っても後漢書からは偃から密に返す刀で進軍の蓋然性が高く、群雄劉茂の影響が高い地なので断言は不可だが)、陰識は尹尊討伐後に軍役から一度退いているので、↑4コマ目には本当に大した含意やこじつけ意図はないです