歩いていること」その両方を知る必要がある。前者の条件は満たされた。が、後者はまだ満たされていない。いつかその日が来たとき、ココアはチノに、なんて言うのだろう?
海編の終盤で、ココアが唐突に帰省したことを思い出して欲しい。卒業したら都会へ行くと報告したココアに対し、モカはこう言った。「昔のココアはさ…私の後をついて来てくれてたけど」「心のどこかでこのままじゃダメだって思ってたんでしょ」「でも向こうで色んな可能性に触れて」「ココアにしか
うさぎとなって、チノの側に居続けてくれた。そして今、マスターの魂はあるべき場所へと還り、チノは「自分なりの喫茶店」の完成を目指して、少しずつ歩み始めている。
今月号のお話でココアがそこまで知ったわけではないが、少なくとも片鱗には触れたと思う。ところで、「チノの理想のお姉ちゃん」
かったし、自分の気持ちに素直になって欲しかった。それは11巻最終話におけるティッピーの言葉だけでなく、「素直でないのは誰に似たのか…」という、今月号の嘆きにも表れている。マスターは最初から、チノが自分の道を笑顔で歩いていけるようになるまで、見守るつもりだったのだ。彼はそのために
繁盛させておじいちゃんを喜ばせたいです」。決して順風満帆ではない人生を歩んできた彼にとって、その言葉が大きな救いであったことは間違いない。だが、マスターが自分の背中をいつまでも追い続けることをチノに望んだかといえば、それは違うだろう。彼はむしろ、チノに自分なりの夢を見つけて欲し
こと、その前年にチノの祖父(=マスター)が亡くなったことを踏まえれば、ココアが見たのはおそらく小学生時代のチノだろう。暗い瞳で虚空を見つめるチノの姿に、胸が痛んだ。しかし、マスターがやってきた途端、その表情に光が灯る。チノがおじいちゃんを心から慕っていたことがわかる。「お店を
#みずしろごちうさ読書
【2023年12月号きらマ】
ココアが夢に見た喫茶店は、現実のラビットハウスとは似て非なるものだった。今より一回り小さいチノに加え、亡くなったはずのマスターが生きており、ココアはラビットハウスの過去の姿の一部を見たのだとわかる。物語開始時点でチノが中学2年生である
もしもチノちゃんが木組みの街で生まれたと仮定すると、物心つく前に列車で街を離れた経験があることになるため、キャンプ回の言葉と矛盾する
ゆえに、チノちゃんは街の外で生まれたんじゃないか?とする考察ね。自分で考えてすっかり忘れてたから、また投稿しとこ
ちなみにCB4は、チノちゃんが「ゴフッ」となる話で始まり、「ゴフッ」となる話で終わる巻でもあります
超ハイレベルなごちうさオタクは11巻2話の扉絵を見た瞬間、チマメイドの話に飛んで「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の対応関係を調べているため、両者が一致していないことはもはや常識になっている
「One of Milky Way's Memories」。ごちうさにおける天の川は、沢山の「記憶」を湛えた星の集まりとされている
では、それは一体誰の記憶なのだろう?
「このまま時間が止まればいいのに」と願う誰かの楽しい記憶が、星となって夜空に輝き続けるとしたら、素敵だなって思う
「ある人」って誰やろね?本当に
これいろんな人の意見をもとに考えて納得しては、やっぱそれは違うんじゃないか?っていう堂々巡りを繰り返してる
ココアさんかサキさんの二択だとは思うんだが