パチスロの歴史を描いた新現代回胴遊技機論序説です。今回は技術介入時代の幕開けについて解説しています。それ以前は、単なる消化ゲームだったビッグ中の遊技を緊張感のあるゲームに変貌させたのがクランキーコンドルだったのです。
#パチスロマンガ
#パチスロの歴史
#クランキーコンドル
5~8/8
思い起こせば、5号機最初のAT機はオリンピアのゴルゴ13でした。新聞に全面広告を打って新時代の到来を予告したものの、実際に打ってコイン持ちが少しアップするだけのATに深く絶望したものでした。
9~12/12
当時は小泉政権でした。痛みに耐えられなければ死ね(意訳)というスローガンのもと、廃刊ラッシュが始まるのです。
13~14/14
パイが永遠に拡大することは不可能です。参加者の増加はいつまでも続かないのです。そして、それが減少に転じた時が終わりの始まりなのです。
5~8/12
5号機の規定が適用される前に多くの4号機が検定に持ち込まれました。しかし、アルゼは検定を通すことができず、他メーカーより早く5号機を投入することになるのです。 https://t.co/0ZdP1Gd6vh
5~8/16
スト2はST機ではありませんが、BIG後にRTに突入してBIGが揃えられないシステムです。RT中はボーナス抽選をしていません。だから連チャンをさせないためのRTでした。解除役もRT中でないと無意味です。4号機末期には似たシステムで検査を確実に通そうとした機種が複数あるのです。 https://t.co/5dwmuPgG9c
9~12/14 懲罰的な意味合いの強い5号機の規定の中で魅力的な機械を作るためにはクリアしなければならない問題が多数ありました。そして、その解決のためには何年も掛かるのです。 https://t.co/QaYUWuTvCn
9~12/12
まだスロマンガバブル崩壊前なので、余裕をかましてます。スロバブル崩壊からのスロマンガバブル消滅までは予測してましたが、出版不況までは想定外でした。
13~16/16
4号機末期の北斗の拳バブルの影響で5号機へのスタートが3年遅れたと思います。サミーがエウレカセブンを3年早く開発できていたなら、スロマンガ誌の状況も変わっていたでしょう。とはいえ、知人の編集者がエウレカセブンを特集したスロマンガ誌を企画したところサミーはNGを出したそうです。