【園城寺(三井寺)は源平合戦最初の拠点】
江戸時代の観光ガイドブック『東海道名所図会』には、源平合戦で園城寺が源頼政に味方したことや、源頼朝が園城寺に土地を寄進したことが紹介されています。
園城寺と源氏の深い関わりがうかがえます。
※現在、東海道名所図会の展示はありません
1891年4月1日、日出新聞に驚愕の記事が掲載された。西南戦争で戦死したはずの西郷隆盛が実は生きており、近く来日予定のロシア皇太子ニコライと帰国するという。この荒唐無稽な噂話が日露を揺るがす大事件に関わってくるとは、まだ誰も知る由もなかった。
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ニコライが観音堂にいる間、津田三蔵は西南戦争記念碑付近で警備についていた。碑を訪れないニコライや、敬礼もせず、碑を囲む柵に寄り掛かったロシア人随行員のふるまいに、西南戦争で勲章を得た過去がある三蔵は、不快感を覚えたであろう。
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ロシア皇太子ニコライを斬った津田三蔵は、すぐさま人力車の車夫たちに取り押さえられた。頭部を負傷したニコライは近くの呉服・太物商、永井長助宅の店先で手当をうけた。傷は幸い大事には至らず、ニコライはきわめて気丈にふるまった。
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1891年4月27日、ロシア皇太子ニコライが来日。従兄弟のギリシャ王子ゲオルギオスとともに長崎に入港する。その後、鹿児島を経て神戸へと船で渡り、5月9日には京都に到着した。ニコライは日本文化に興味をもち、各所で骨董品を買い求める等、大いに旅を楽しんだ。#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
5月11日、ついにニコライ一行は京都から人力車に乗り、大津に到着した。ニコライらは三井寺観音堂からの眺望や円山応挙の絵画など美術品の鑑賞を楽しんだ。その後、汽船に乗って訪れた唐崎神社では、村民が甲冑姿で一行を出迎えるほどの歓迎ぶりだった。
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捕縛される際に重傷を負った津田三蔵は、たまたま現場近くにあった巡査の家の裏庭に拘引された。三蔵は簡単な尋問や負傷箇所の治療をうけたが、現場検証もそこそこに滋賀県監獄署に護送された。
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無期徒刑を言い渡された津田三蔵は、事件の代償として、巡査職と、唯一の誇りであった勲章も剥奪された。そして、釧路集治監へと移された三蔵は、事件の動機がはっきりと明らかにならないまま、事件から4か月後、肺炎により36年という短い生涯の幕を閉じた。
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『大津絵』外法の梯子剃り(げほうのはしごぞり)
外法とは福禄寿の異名で、健康長寿の神様です。頭が長く伸びすぎたので梯子を掛け、大黒天に髪を剃ってもらっている様子は、健康に長生きすることの大変さも表しています。長寿の護符になりました。
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ニコライ一行は京都に戻るため、帰路についた。一方、津田三蔵は下小唐崎町で警備にあたっていた。いよいよ三蔵の前をニコライが通過する瞬間、予想していない事態が起った。突如三蔵が自らのサーベルを抜き、ニコライの頭部を斬りつける凶行に及んだのだ。
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