負傷したニコライの手当をした呉服・太物商の永井家は、ロシア人より「聖地」と呼ばれ、多くのロシア人が訪れる場所となった。津田三蔵がニコライを斬ったサーベルと血染めのハンカチは現在、滋賀県により保管され、大津事件の生々しい様子を後世に伝えている。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
無期徒刑を言い渡された津田三蔵は、事件の代償として、巡査職と、唯一の誇りであった勲章も剥奪された。そして、釧路集治監へと移された三蔵は、事件の動機がはっきりと明らかにならないまま、事件から4か月後、肺炎により36年という短い生涯の幕を閉じた。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
津田三蔵の処罰が死刑ではなく、無期徒刑と決定されても、日本が恐れていたロシアからの報復はなかった。ニコライを助けた人力車夫の北ヶ市市太郎と向畑治三郎は、日露両国から勲章の授与と終身年金を支給されることになり、二人はロシアの軍艦にも招かれた。#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
津田三蔵の処罰について、政府と司法との間で激しい攻防がなされた。ついに5月27日、大津地裁で行われた裁判で、三蔵には謀殺未遂罪で無期徒刑の判決が下された。後年、この判決で、司法権の独立が維持され、三権分立の意識を広めたといわれている。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
刑法第116条(大逆罪)は、天皇・三后・皇太子に対し危害を加える、または加えようとした者は死刑とするというものであった。しかし、外国の皇太子に適用させるかどうか、どのようにして死刑にするか、津田三蔵の処罰をめぐって政府内の議論は紛糾した。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
ロシアの脅威に怯える閣僚は、津田三蔵に刑法第116条の大逆罪を適用して、死刑を求めた。だが、司法側のトップであった大審院長の児島惟謙は、刑法第116条は外国の皇太子には適用できず、謀殺未遂罪で無期徒刑にあたると主張。そのため、児島は政府と対立した。#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
津田三蔵が引き起こした事件は、日本政府のみならず日本全土を震撼させた。事件を知った明治天皇は、すぐさま翌12日には京都へ行幸、ニコライを見舞った。ロシアからの報復を恐れる国民は、事の成り行きを固唾をのんで見守った。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
捕縛される際に重傷を負った津田三蔵は、たまたま現場近くにあった巡査の家の裏庭に拘引された。三蔵は簡単な尋問や負傷箇所の治療をうけたが、現場検証もそこそこに滋賀県監獄署に護送された。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
ロシア皇太子ニコライを斬った津田三蔵は、すぐさま人力車の車夫たちに取り押さえられた。頭部を負傷したニコライは近くの呉服・太物商、永井長助宅の店先で手当をうけた。傷は幸い大事には至らず、ニコライはきわめて気丈にふるまった。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
ニコライ一行は京都に戻るため、帰路についた。一方、津田三蔵は下小唐崎町で警備にあたっていた。いよいよ三蔵の前をニコライが通過する瞬間、予想していない事態が起った。突如三蔵が自らのサーベルを抜き、ニコライの頭部を斬りつける凶行に及んだのだ。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
ニコライが観音堂にいる間、津田三蔵は西南戦争記念碑付近で警備についていた。碑を訪れないニコライや、敬礼もせず、碑を囲む柵に寄り掛かったロシア人随行員のふるまいに、西南戦争で勲章を得た過去がある三蔵は、不快感を覚えたであろう。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
5月11日、ついにニコライ一行は京都から人力車に乗り、大津に到着した。ニコライらは三井寺観音堂からの眺望や円山応挙の絵画など美術品の鑑賞を楽しんだ。その後、汽船に乗って訪れた唐崎神社では、村民が甲冑姿で一行を出迎えるほどの歓迎ぶりだった。
#おうちで大津れきはく #漫画大津事件