ずっとずっと医療の現場で感じてたこと。どんなに手を尽くしても亡くなる命はあるし、どんなに応援していても本人が諦めてしまい何もできないこともある。
手の平をすり抜けていく命を前に何度「魔法が使えたら!」と思ったか。
それがリヒトという作品の原点でした。
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【第47回】君のためにできること
病気になると体だけでなく、心も辛いもの。不安や葛藤から、周囲に当たって孤立してしまう子も………。
辛いのも苦しいのも越えて、君の人生を輝かせてほしい。でももうすでに精一杯頑張ってるのも分かってる。
そんな葛藤のお話です。
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上京後、おじーちゃん家に通ってた時も、時々FF7を引っ張り出し、数年かけて二周目をクリアした。
今、一人になったおじーちゃんは、寂しくて毎日のように私に電話をかけてくる。薄情な私は、時々しんどくなって、その電話を取れない時があるけど、今度は私がおじーちゃんを甘やかす番だね( *´艸`)
東京のおじーちゃん、おばーちゃんにとって私は初孫だったので、正直他の子よりだいぶ甘やかされている自覚がある。実家では、何かをほしいとおねだりすることがかなわなかったので、東京のおじーちゃん家に行くのはいつも特別な時間だった。FF7もミニ四駆も漫画も、全部おじーちゃんがくれた宝物。
上京して数年後、両親が離婚し家族がバラバラになった。沖縄はいつまでも故郷だけど、帰れる実家はなくなった。それでもずっと、沖縄でも東京でもおばーちゃんやおじーちゃんは、同じ場所で迎えてくれたし、これからもそうだと思ってた。ずっと甘えん坊の孫でいたかったし、今もおばーちゃんが大好き。
沖縄から上京したばかりの時、右も左も知らない人、仕事も慣れない、友達もいない、隣近所も知らんぷりな世界になじめず、寂しかった。夜勤明けでよくおばーちゃん家に行って、ごはん食べて、少し寝て、またおばーちゃんのご飯食べて、一晩中おしゃべりした。おばーちゃんのごはんがまた食べたい。
東京のおばーちゃんは去年の11月に旅立った。もうすぐ1年。先日、お着物を形見分けしてもらって…ああ、ほんとにいないんだな、って感じた。父方も母方もおじーちゃん、おばーちゃんのこと大好きだけど、一番おしゃべりしたり、関わりが深かったのは東京のおばーちゃんだったから、今もずっと寂しい。
おばーちゃんは沖縄戦で家族を亡くし、つらい思いをたくさんした。だからうちの母が県外からお嫁にきた時、親の仇みたいな感情があったらしい。子どもの頃にはその雰囲気を、感じ取っていたんだと思う。でも徐々に空気が和らいでいくのも感じてた。そうやって、人と人ってつながるんだなって学んだよ。
これ、直接おばーちゃんのこと描いた漫画じゃないけど、、、家出して、夜中突然やってきた孫に、おばーちゃんは無言でご飯作ってくれて、お布団敷いてくれた。おばーちゃんのこと、勝手に怖いイメージ持ってたけど、こういう時はいつも、怒ったりせず、全部丸ごと受け止めてくれたな、って今気づく。
基地のゲート前でビリヤード屋をやっていたおじーちゃんは、英語は話せないのに、海兵隊のおにーちゃんたちからも「おじぃ」「おじーちゃん」とよばれて親しまれてた。基地の色んな事件も身近で怖い思いもいっぱいしたけど、みんなが皆怖い人ばかりじゃないってことは、ビリヤード場で学んだよ。
敬老の日だから、おじーちゃん、おばーちゃんとの思い出描きたかったんだけど、時間なかった…(´;ω;`)
ので、昔描いたやつ。
大好きな沖縄のおじーちゃんは、いつもあっけらかんとしてて、いい意味でてーげーだった。存分に受け継いだので、私もてーげーとなんくるないさー精神で生きてるよ( *´艸`)
【第46回】いっときいっとき
宿泊行事の空き時間。一時の癒しを求めて階段を下りた先には…………血まみれの男の子!!
こんな瞬間に遭遇したら、どんだけ恐いか………!!!・゜・(つД`)・゜・
しかもケガの理由に衝撃を受け……そんなお話です。(こわっかたよー(ФωФ))
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