割と微細な変化に見えますが、道化の台詞が、ヴ王の「(神官の詩が陳腐過ぎて)耳が腐る」から続いているため、道化のからかい対象が神官→王に変わっているわけですね。
それは「腐海側のキャパシティ」の問題です。蟲の卵を「分けて貰い」、況んやその体を棲みかや衣服に利用する「森の人」は蟲から見れば一種の寄生者ですが、そうした者を腐海はどれ程養えるのでしょうか?もしもっと沢山の人が彼等のように「腐海と共に」生活するようになればどうなるのでしょうか?
尤も、その蟲使い達にしてもコミュニティの維持は大変なようです。人里から屡々孤児を迎えてなお、この三百年の間に十一の支族のうち三つが絶えているのですから。
また、その住居の一つは「地中の噴気を利用して」浄化されており、マスクなしでの生活が可能です。因みに「森の人」の棲みかもタービンで浄気を行っており、このことからも瘴気が基本的にはフィルタリング可能な微粒子であることが推察されます。
もう一つ。蟲使いの棲みかは、腐海の拡大とともに「人界に近い方へ」移動していると思われます。恰も後退する海/湖を追う漁民のように。というのも、あまり人界から遠いと、交易も交易原資の確保(=墓荒し)も難しくなるからです。その最も大規模なものが、大海嘯に伴う「民族大移動」でしょう。
オープンレター(あ、言及しちゃいけないんでしたっけ?)界隈、まんまこの状態。「正義」の名の元に正当な手続きも何もなく暴走していけば、その結末は焼け野原というか、これからの学生に語るべき人文「知」を本当に喪いかねないように思われる。
改めて土鬼諸侯国について整理すると、トルメキア王国と並ぶ作中の二大国の一つであり、神聖皇帝を頂点とする50余の諸侯国の連合帝国、かつ国歌宗教たる僧会が帝国行政をも司る、政教一致的色彩の強い国歌となります。
そして神聖皇帝は「超常の力」と僧会官僚機構、直属軍を背景に各部族に対し恐怖政治を敷く…のですが、実のところ各部族への支配貫徹には疑問符が付いてきます。以下、順に見てみましょう。
まず、各部族のトップですが、これはマニやサパタの例を見る限り、部族出身の長老が「僧侶を兼ねる」パターンであり、僧会派遣官僚が統治しているわけではなさそうです。
勿論、族長就任には皇帝なり僧会なりの承認が必要かもしれませんが、興味深いのは僧正粛清後のマニ族に対して、どうも後任の族長が選任された様子が見えず、部族の僧侶による集団指導制らしき状況が伺えることです。
部族の自律性という点では、サパタ長老がチヤルカに食ってかかった場面も興味深いものがあります。何せ、一族長が、皇帝側近にして軍司令官に正面切って抗議しても「不問」とされているのですから。