一度ブチ切れて暴れた頃。私が母と暮らした始めた時に感じていた苛立ちの大半はこういうものでした。環境の変化、転校、進学、3年の学校生活のブランク。悩みが尽きなかった私に母は自分を理解しろ受け入れろとメンヘラ彼女の様に言いがかりをつけてきてはシニタイニシタイ言うので本当に大変でした。
「しのちゃん」(2010年ブログ)施設に入所する事情の子どもは、「施設に入れる」が脅し文句だったり、「施設なんて可哀相」という言葉を浴びている場合もあるがゆえに、その境遇を受け入れるのに時間が必要になる。
【特別養子縁組】菊田医師の赤ちゃん斡旋事件009】
ブログに描いているのはここまで。続きは折を見てすこしずつ。
【特別養子縁組】菊田医師の赤ちゃん斡旋事件003】
この事件が起きた1973年代のこと。
現在は違います。
【特別養子縁組】菊田医師の赤ちゃん斡旋事件008】
1970年当時は例え犯罪被害であろうと女性は純潔であることを
求められた時代だったのかもしれません。