古武術は殺されないための技術でもある!としてタフを出すのはどうかと思うけど、なんかこないだ読んでたばかりで、つい思い出したので…
異世界ファンタジーではないけど、現代伝奇で異端宗派の人たちが「第二バチカン公会議における『修道生活の刷新・適応に関する教令』によれば――」とか、真面目にテキストを引用しようとしているのを見て、少し笑っちゃったw
私はコロコロキッズだったけど、弾平世代ではなくてあばれ隼世代だったのでわかんない…しかも、一番心惹かれた理由がこれだしなあ。柳生流天狗太刀!
そういう環境では、槍も使いにくて状況は生まれやすい。実際、そういう戦い方をしていたようなことは宣教師もいうてたか。みなもと太郎先生はこのように書いて「刀と刀のぶつかり合いなぞほとんどなかったのが最近の研究で解った」と書いてるけど、多分、従来の言説の方が事実じゃないかね
この手のでよく引き合いに出される示現流の猿叫での打ち込みは、あくまでも鍛錬法……実際は無茶苦茶打つ…と聞くが。これは、多分『再起』の漫画的表現だと思うけど。
このページに、改めて心打たれました…
おしえて!BLソムリエお兄さん 第18作② 卒論プレ発表会~又来による『こゝろ』の考察~ | 下瀬川ひなる https://t.co/YVho8rEynt #pixivコミック
ちなみにこれはツッコミどころ。風当身などというオカルト技を使うお前が言うなというか、きっちり呪詛の声が聞こえてくるあたり、鬼龍に(まったく)効かないが、それなりの威力はあるらしい。覇生の呪殺。
…みたいな感じ?幽玄は覇生流から直接出た流派かもしれない。灘は一子相伝を謳っていたような気もするし…まあ覇生流がまともな流派ではないのは明らかなので、心陽流の何代目かが新興宗教団体を開いて、宮沢家と日下部家の先祖はそこについていったのかもしれない。