ジゲン流が一の太刀にすべてを込める、というのは創作の定番ではあるが、正しくない。ちゃんとこのような、リアリティあふるる漫画で真実を学ばねば!(リアリティ?)
吉田義夫氏は任侠映画は愚劣、ヤクザ映画には金をどれだけ積まれてもでない…というのだが、仁義なき戦いシリーズに出てたので、それを聞くと「あれはええねん」「ヤクザの汚さをちゃんと描いてた」と。股旅ものを庶民の悲しみをちゃんと描いていたと評価してたりで、問題は何処に焦点があるかのようだ
じゃあ〇年代に歴史系の雑学知識を得た人たちは、何からかというと…画像はみなもと太郎先生の『挑戦者たち』に収録された一編から。この参考資料に挙げられている『刀と首取り』なんかで、「戦場で刀は使わない」と思い込んでる人たちが、今でも猛威を振るっているのだった。
『瑠璃の宝石』は、原作初期にあったフェティッシュな描写やパンチラなどは削られているし、キャラデザインも頭身を縮めて全体をまるっとさせているのは、文法としては子ども向けアレンジしていると思うのであるが、どうしても胸がでかいというのは、忌避反応を示されてしまうのかもしれない。
レイアース、当時のCLAMP作品は今でいうメリバどころか…な結末が多かったので、
「CLAMP作品だし…」
「いや、なかよしでそんな…」
「けどCLAMP…」
とか、戦々恐々としつつ毎回連載追ってたっけな。
最終回では当然こうなった。
「刀は戦場で使われなかった」という説は結構昔からあるともいうけど、近年では恐らく、鈴木先生の『刀と首取り』が有名にしたと思われる。発売ちょっと後のみなもと太郎先生の歴史エッセイマンガではこのようなことが書かれ、参考文献に同書が挙げられていた。