『刀と首取り』でも同じ主張かはすぐには確認できんが、そちらを参考にしたみなもと太郎先生の『日本剣客伝』ではこのようにあり、これは刀は戦場で使われなかった、という話になっている。このエッセイ漫画が書かれたのは2000年から2002年だから、刊行されて数年とせずしてこんな話になっていたようだ 
   『雲耀』云々は、結局は「目にも止まらない速さ」という程度の意味合いでしかないと思うけども、そこには精密な身体操作が必要となる…!
(あくまでも武装少女マキャヴェリズムの解釈だけど) 
   基本、『瑠璃の宝石』はフィクションとして法律的なことには触れてないことが多い…そもそもからして創作物を真に受けない、というのは最低限のリテラシーであるのだが、その原作からして書いている「採ってはいけないというところでは採ってはいけない」は、よほどに重要なことなのだろう 
   高潔な勇者というので思い出すのが、これ。記憶の中のヒンメルは理想化されている…わけでもなく、「ヒンメルならそういう」に誰もが納得できる積み重ね…けどこれまだ話数は一桁台なんだぜ? 
   私はコロコロキッズだったけど、弾平世代ではなくてあばれ隼世代だったのでわかんない…しかも、一番心惹かれた理由がこれだしなあ。柳生流天狗太刀! 
   古武術は殺されないための技術でもある!としてタフを出すのはどうかと思うけど、なんかこないだ読んでたばかりで、つい思い出したので…