小山愛子『舞妓さんちのまかないさん』第8巻まで読了。花街の屋形でまかないさんとして頑張るキヨさんの物語。それはともかく、真冬に「寒い!」と呟きながらもいつもと同じ短パン姿なのは何故? 
   1887年12月26日、保安条例公布・施行。自由民権派による三大事件建白運動が内乱に発展することを恐れた内相山県有朋、警視総監三島通庸の下で突如公布され即日施行される。中江兆民、尾崎行雄、星亨ら570人が東京からの退去命令を受け、抵抗者は投獄された。
※画像はビゴー作「保安条例」。 
   1935年2月18日、天皇機関説事件。貴族院本会議で貴族院議員菊池武夫が、同じく貴族院議員である美濃部達吉の天皇機関説が「国体に背く不敬学説」であるとして非難。 
   『信長を殺した男』第2巻まで読了。描く側の立場によって登場人物の価値付けまで変わってしまうのはお約束とはいえ、あまりに凄すぎて逆に笑ってしまった。仏教に個人的恨みでもあるのかな🤔 
   1927年7月24日、作家・芥川龍之介が睡眠薬の過剰摂取により死去。享年35歳。通説では自殺とされメディアがセンセーショナルに書き立てたが、当時の科学捜査技術では正確な死因は不明だったという。なお、社会主義に共感を示す一面もあり、関東大震災に際しては朝鮮人虐殺事件や甘粕事件を批難した。 
   1873年7月28日、明治政府が地租改正法と地租改正条例を公布。土地所有権確定と共に地租制度の近代的統一を遂行。地租は従来の年貢に匹敵するほど高率な上、入会地の大半は収奪される。市場経済化は農民の階層分化を促し、農地の多くは農民から離れ地主に集中。資本の原始的蓄積の役割をも兼ねていた。 
   1894年7月29日、日清戦争・安城渡の戦いで、歩兵第21連隊第3大隊第12中隊でラッパ手を務めた木口小平二等卒が被弾、ラッパを加えたまま死亡。単なる死後硬直が原因と考えられるが「死んでも口からラッパを離さなかった」義勇忠義の物語として話が膨らみ、国定教科書掲載により一躍有名になった。 
   1969年11月13日、前日の「佐藤訪米実力阻止・11月安保決戦勝利全関西労学市民総決起集会」で機動隊に暴行を受け、重傷を負った上に曽根崎署に拘留された岡山大学法学部の糟谷孝幸氏が脳挫傷などにより死亡。3警官の特別公務員暴行陵虐致死罪にかかわる付審判審理が大阪地裁で進められたが棄却された。 
   2012年12月19日、漫画家・中沢啓治が肺がんのため広島市民病院で死去。享年73歳。代表作の『はだしのゲン』をはじめ、自身の被爆体験に基づいた作品を多数発表した。