なんでも西住しほのフィギュアの指輪が外せるとかで話題になってるそうな
当方はグッズにゃ手を出さんし指輪の有無もどうでもよい
だが目元の小じわが消えたりしてたら許さん
またカトラスのクマを消したり河西忍を盛ったりしたら魂魄百万回生まれ変わっても恨みはらす
あやのメガネ外すのは別に構わん
フォロワー5000突破したが、嬉しさというよりはある種の息苦しさを感じる
自分の発言がある程度の人間の目に入ると思うとあまり気軽につぶやけなくなってきた感がある
5000人でもこうなのだからこれが万だの十万だのという人達が普段感じている圧はどれほどなのであろうな
最後のコマは余計かもな
TCGに限らずアナログゲーム全般にはイカサマという問題がある
当然違反行為でありMtGのプロ大会にも記録がある
しかし中身は一度に二枚引くとかカードに印つけるとか手口は単純だ
プロのイカサマというからもっとツバメ返し!(シュバババ)とか七色ローズ!(バババ)みたいのを想像したのだが
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来たるべきガルパン最終章最終回(ややこしい)を迎えたその日、
われわれはその後は帰還オタクとして普通の市井に戻ることができるのだろうか
あるいはその事実を受け止めきれず残留ガルパンおじさんとして漂い続けるのだろうか
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通知見てると前回のチンプイ論はなんか「本職」の人からの反応が多い気がする
やはり藤子先生の構図力には本職の人からも見るべき点が多いのだろうか
現代では失われつつある描き方だが、それでも一人でも多くの人に藤子漫画の良さが伝わればいいのだが
比較的文字が多いコマでもこの読みやすさ
幼少の折、ドラえもんが「あれでもないこれでもない」と間違った道具を出すのを見てマヌケだなぁと思っていたが
ホーム画面やデスクトップがゴチャゴチャで必要なアプリが行方不明になったり、違うアプリをタップしてしまう自分はそれとなんら変わりがない
道具の便利さと使い手の賢さは別問題なのだ
SFの世界では物語が作られた当時から見れば「〇〇年は相当な未来だから未来技術も完成しているだろう」と考えられていたが
いつの間にか現在がその日付をとうに追い越してしまうという現象がしばしば起きる
ドラえもん世界でファーストコンタクトは2093年
タイムマシンは2008年完成だ
2008年完成だ
その昔
両親の運動不足を解消するためリングフィットアドベンチャーの懸賞に応募し、当たった
ソフトが自宅に届いた
だがswitch本体の懸賞は外れた
その時の虚しさと、やり場のない怒りをぶつけた
今日はタイツの日らしい
今だタイツやニーソの良さをよく分かっていない身ではあるが、自分なりに考え、その良さを再検討した