かつてミリタリ界隈はそれは閉鎖的な場所であった
互いにいかにマニアックな知識を披露して、相手の間違いを見つけマウントを取るかの戦いに明け暮れていた
初心者や知識の少ない物は恰好の餌食となり、古参の満足と引き換えに新参が消えていった
その世界の末路がどうであったか言うまでもあるまい
ノスタルジーの意味で昭和を振り返ったとき、そこにはたいてい美しい思い出の中から『漂白』された人々が存在する
こんな人間たちが実在してたかは置いといて、治安は今より確実に悪かった
ドラえもんは日常の延長線上の物語として描かれているため、今では見ない昭和の日常を窺い知ることができる
先日ネットでのスルーの重要性を述べたが
当方は議論そのものを否定したのではない
一人で考え続けるより誰かと意見をぶつけた方が新たな見地や発見を得る事もできる
ただしそれは双方が正しい前提知識を持ち、感情でなく理性による判断ができる場合に限る
例えばこんな
考古学までやるんスか藤子先生
これは先に大人になった者達からの一種の温情である
この先社会に出れば、これをはるかに上回るような理不尽に山ほど襲われる
今のうちに理不尽に少しでも慣れておけという先達からのメッセージなのだ
……なんて思えるわけあるかァ!
(2/2
ガルパン劇場版が上映されていた頃はそれを観るために何回何十回と映画館に足を運ぶのが流行った
劇場側も全力で応え映画に様々な独自性を持たせる試みが見られた
普通の人から見りゃ何度も観るのは奇異な事だったろう
理由は色々だがその一つは「一回だけじゃ何が起きてるか分からないから」であった
ラーメン才遊記ドラマ化にはそれなりに驚いたが反応は概ね好評のようだ
一昔前は実写化と言えばネットは大荒れであったのだが
むしろ、以前ダイの大冒険アニメ化が発表された時の方が危惧する声が散見された気がする
なんというか時代がずいぶんと変わったのだなとこのロートルオタクは感じる処である