「まんが道」のずっと前にA先生が描いたトキワ荘についての漫画の中では手塚治虫はこういう感じで描かれてて、「まんが道」の中で手塚治虫がああいう風に描かれたのは満賀や才野にとっての神さまでいなきゃいけないからなんだなと改めて思う
こういうのを見ると、反射幻燈機の思い出はA先生にとってもF先生にとっても忘れられない大切なものなんだろうなと想像させられて胸にぐっときちゃうな…
のび太の父親もおじさんも少年時代に田舎に疎開をしていた描写がされている 原爆投下時の閃光を「マグネシウムをたいたような光」と例えた人たちと同じ世代だ
原作での些細なやりとりを大きく膨らませて「そのうちこいつらは結婚する」とか言って大げさに騒ぐタイプのオタクに見えてきた
「まんが道」のふたりが高岡にいる時代の話が好きなのは、私が経験したことがない「雪が身近にある暮らし」が描かれてるからってのは大きいだろうな