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【75年前の今日】5月24日の日記「『高須さん、あなたたちが夜間の大空襲に会ったのは、あの三月十日が最後ですね。四月中旬のやつのときには田舎にいってたんだから』『うん、そうだ』『じゃ、もうそろそろ凄いやつをくらっても文句はいえんわけだ』『冗談じゃない』」このあと、大きな空襲が…。
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【75年前の今日】昭和20年の5月24日、東京の品川、目黒、渋谷などが大規模な空襲の被害に遭いました。一般的には3月10日の東京大空襲が知られていますが、実はこちらの方が空襲の規模が大きかったそうです。この日の出来事は、発売中のモーニング25号掲載「#風太郎不戦日記 」第7話で描いています。
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【75年前の今日】5月26日の日記「夜はまったく明けたし、まわりは大体鎮火したし、もう延焼のおそれはまずなかった。自分は死ぬほど疲労していた。眼のまわりにクマが出来ているような気がした。この大邸宅の炎上する美観を見たいという芸術的欲望も、今にも倒れそうな睡魔にはかなわなかった」
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【75年前の今日】5月29日の日記「◉午後、勇太郎さんと湯野浜温泉に出かける。電車に乗り遅れたので、砂山を越えて歩いてゆく。砂山の頂上では、暑くてサルマタ一つになってしばらく涼んだ◉B29五百機横浜を大爆撃した由。品川あたりもやられたという。高須さんのことが大いに心配である」
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【75年前の今日】5月30日の日記「曇天の下を(高須さんの)奥さん、勇太郎さんとまた湯野浜にゆく。今はなかなか一般客を泊めないのを、奥さんが頼んで『いさごや』というのに泊る。ここにも疎開児童がわいわいと騒いでいる。しかしみんな元気よく、準軍隊式に生活しているらしい」#風太郎不戦日記
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【75年前の今日】5月31日の日記「(湯野浜の)宿は十時に全部消燈。十一時頃まっ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で酒をのんで騒いでいる声がする。酔っぱらってくだをまいている女の声も聞える。東京を焼け出されて来た一団らしいが、子供達が疎開している場所であることをわきまえないか」#不戦日記
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【75年前の5月29日】「午後、勇太郎さんと湯野浜温泉に出かける。電車に乗り遅れたので、砂山を越えて歩いてゆく。砂山の頂上では、暑くてサルマタ一つになってしばらく涼んだ。どの旅館にも『東京都小松川国民学校第一学寮』『第二学寮』などという看板がかかり、疎開の子供たちがウヨウヨしていた」
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【75年前の5月31日】「宿は十時に全部消燈。十一時ごろ真っ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で、酒を飲んで騒いでいる声がする。酔っぱらってくだをまいている女の声も聞える。声からして、東京を焼け出されて来た一団らしいが、子供達が疎開している場所であることをわきまえないか」その通りです…。