字が潰れて読みにくい箇所の多い明治40年11月5日付『大阪朝日新聞』の「菊の栞」には鳴尾百花園に竹田良助作の「造人形」があったと読める箇所がある。同11月21日付紙面、大阪道修町の神農祭の記事にも「造物」の制作者として竹田の名がある。当時人形師としての引く手あまたの人物だったのかしらん。 https://t.co/H1CIGPSvm1
大正13年7月30日付『都新聞』「禽獣商売往来」第二回、例えば日本の動物園が象を買いたいとなれば、神戸の有竹を介して手配するといった入手ルートが確立していた。ライオンやトラ、殊に大蛇は帆船の船員らが一攫千金を賭けて現地で買い入れて積み込み、日本で動物商に売り込むことも多かったらしい。
大正13年9月25日付『都新聞』「諸国の噂」欄、こちらには「嗜眠病」避けとして番茶風呂に入る、「唐黍、玉葱、紫蘇を煎じて飲み、そのあとで団子を三つ喰ふ」という長崎県で見られた事例を紹介する。 https://t.co/XrJKSAR4XM
大正11年12月6日付『都新聞』、この年の年初に流行したいわゆる「幸運の手紙」について、年末になり再び形を変えて(「邦文ではなく英文」)現れ始めたとしている。