大正8年9月11日付『都新聞』に斎藤満平薬局によるコカ・コーラの広告が出ていた。ここでは「日本一手輸入発売元」を名乗っている。当時は原液を売っており、暑いときのお勧めの割物がソーダ水、冷水なのはともかく、涼しいときの「熱湯」割りも勧めているのが面白い。失われたコーラの楽しみ方だろう。
電氣政宗!いかに「電気」の語にモダンな響きを感じる時代があったからとて清酒の銘柄に「電気」と冠するのは吉と出たのか凶と出たのか。大正14年10月31日付『河北新報』朝刊1面広告より。
今後の調査の推移を追いたい。福島県の村で村民の多数が神社で「徴兵検査不合格の祈願をした」のではという疑惑の事件が発生した。1929年(昭和4)5月31日付『河北新報』朝刊。
「ハンドフワン(一名大和扇)」というハンディタイプの扇風機の広告が明治39年7月2日付『大阪毎日新聞』に載っていた。この時代にすでに「扇風機を持ち歩きたい」という発想をする人がいたのか…!
昭和7年6月7月の『河北新報』を読んでいると概ね「自動で菓子を掴む機械」との趣旨の商品広告がぽつぽつ出てくる。まずいずれも大阪市のメーカであるのが異常に面白い。大阪での大流行を謳い(2社)、また「金儲の大王」等明け透けな惹句でのPR(3社)と共通点が多い。遠く離れた東北での詐欺か真か。
人喰いのホオジロザメが漁師網に掛かり浅草で見世物になったという話の関連サメ記事が大正6年3月の『都新聞』に幾つかある(15日・16日・27日付)。魚河岸に来るサメは腹を割くとたいがい人間の手足が出るがいちいちは役所に届けずやり過ごしているそうだと、なかなかなサメ事情をサラリと書いていた。
閉店広告で初めてこの「わんぷらいすしよつぷ」の名前を知った。間違いなく百均のご先祖筋であろう(笑)大正9年7月16日付『都新聞』、店名で検索してみると言及する本はそこそこあり、知る人は知っている店だったようだ。