なかとかさんの漫画で描かれる、ナンパな軽いノリのイケメン教師(服部先生)が、「なんとなく懐かしい学園漫画の雰囲気のするキャラクター」として描かれていることを考えても分かるんじゃないかな
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柴田ヨクサル×沢真『ヒッツ』は、紙面の下のネームが絶対マルチョンとかじゃなくてヨクサル絵のラフで描かれてそうだな…とチラついてくるギャップをどう作画が乗り越えていくのか、と期待させる作風でもあるのだが、新キャラが本性を現す17話のこのページから様子が変わってくる気がする #ヒッツの日
「あくまであまい私の彼女 | 第1話 甘すぎる恋」を読んでます! #コミックDAYS @comicdays_team
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わぁ初めて発見できた実例だ…(男性向けっぽい表現ではないが) https://t.co/dsCAf2dSQY
そういえば押忍!闘え!応援団は一作目のラストが隕石衝突(アルマゲドン)で二作目が氷河期(デイ・アフター・トゥモローとは違っていて太陽光の衰えが原因)とディザスターが続いてたんだけど、3作目があったら「地球の核を応援(ザ・コア)」が来てほしかったな…
続く5巻のコマ割りで、「会話を並べることでコマの端から端までの空間が生まれる」という意識が近い時期にあったことが窺えることもでき、この空間への意識がさきほどのページの空気感にも繋がっている。本当に、大胆でかつ緻密
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ふと初心に帰りたくて『風雲児たち』を最初のほうから読み返している。
ここのギャグ中の沈黙による表現が本当に素晴らしい
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ちなみにこれは『時をかける少女』のパロディ編(タイムリープものじゃなくてサイコキネシス少女ものだけど)の少し前に載っていた薬師丸ひろ子ネタ(連載は83年内で単行本6巻にあたる)
これは漫画とアニメーションにおける表現の動機の差として見ると面白いですね。
アニメは「体のバネを表現したい(できる)」という動機があるのでウサギ跳びするように両足を深く屈ませるけど、漫画はコマの前後で「片足で蹴って推進力を作った」と伝える表現なので片膝を立てた「溜め」になると https://t.co/MJMqq5JJC0
他の国の価値観がどうなのかは知らないが、日本人にトロッコ問題が向いてない(思考実験ではなく大喜利化させる)のは、国内で流行る前から80年代のオールナイトニッポン発の「どっちを選ぶ 究極の選択」ですでにブームを経験していて、なんでも「究極の選択」に変換してしまうからじゃないだろうか