清水っ子のまるちゃんがひとりで静岡に行って道に迷ってお母さんに電話するんだけど地名が読めなくて大ピンチになった場所だと興奮した
寿司屋の件
寿司屋さんで腕時計見せびらかすの
「今何時か分からなくなってしまったわ」
「どうだ何時かわかるだろう」
みたいな感じかな
歴史の教科書にあった
「どうだ明るくなったろう」
を思い出してしまった
その後女子高生2人組に助けを求め「ブスは無視して美人の方に頼ろう」とか「美人は彼氏との約束があって当然…その点ブスはヒマ」とかブスも承認欲求マシマシキャラにされていて初期の『ちびまる子ちゃん』は毒が濃い
1933-1937年大田原町長だったのは青柳徳之輔氏
どこかで見た名前と思ったら大田原深川遊郭新岩井楼主
楼主が政治家というのは栃木県内で分かる限り石橋町牛井戸遊郭高砂楼主高橋多三郎氏(石橋町長)、鹿沼町五軒町遊郭柏木楼主高橋元四郎氏(衆議院議員)
現代では風俗店主が政治家ってあまりイメージない
1949年頃母校栃木高校の栃高新聞
真面目な内容だけでなく「本校初の女教諭24才美人大橋先生は保健の先生、今後急病人や怪我人が続出しないか懸念されている」とか「赤い羽根募金運動JKばかり人気でサッパリ」とか校門前のコロッケ屋買い食い是非とか男子高らしい記事も
ちゃっかりコロッケ屋の広告も
70年前の富永一朗の新聞4コママンガが豪快すぎる
山に行きたいとダダこねる男の子を屋根に蹴り上げ海に行きたい女の子を防火水槽にブチ込む、病気のおっさんを花束持参でお見舞いしたら花瓶がないのでおっさんの口に水と花束をブチ込むというかりあげクンも裸足で逃げ出すワイルドさ
『すもも』
天沼俊
80年代のサブカル感(言葉を選ぶ)をジャンプでやってて強烈だった
#ジャンプそんな漫画あったな選手権
1903年下野新聞の広告
繁盛している県下の実在のお店を双六🎲にしたもの
真ん中にある「第一八百駒」は栃木県で初めて牛肉料理を提供した「八百駒本店」の支店で大いに繁盛した
下野新聞は八百駒の広告料で社屋を建てたと言われる程
栃木市の老舗「かな半旅館」や山口智子さんのご実家「鯉保」も