【10】
毎度おなじみ?、専務になれなかったお方の頑張りで、政権交代後も免許獲得。
(同じ時期のやまてつ×大軌による名張~宇治山田間の免許取得話を回想にしています。こちらも政権交代がらみ)
というわけで、西信貴には大軌と信貴電の資本が入ることとなりましたが……
大軌八木線=現・近鉄大阪線。 https://t.co/4IX6QZF0Jd
四日市市浜田事件を思い出すわ(当初伊勢鉄道は関西線四日市駅より海側に駅を設ける予定で、史料には浜田とあったが今の浜田地区は諏訪のあたりでだいぶ内側)(旧浜田村域を特定してくださった協力者さんのお陰で四日市駅周辺の地名が入り組んでいることが判明して描けた 毎度様々な情報提供感謝です…… https://t.co/WN51xBQKYq
【11】
大軌がこの頃から急にノブレスオブリージュに目覚めだした(ように見える)のは、元鉄道官僚の専務就任(のち5代目社長)がきっかけなのかなーと思っています。
そして第3期線……トンネルに加え橋をかけなければならない谷間の難所。七夕伝説と結びつきのある地域です。
https://t.co/83wxCmbv87
【12】
そんなわけで枚方線は超まっすぐの路線になりました。星田支線は交野から伸ばすつもりだったようです。こちらは免許も持ってた。
実は(?)参急と同い年。はじめての連帯運輸は、桜井で会えるやまてつと、王寺で乗り換えの……
参急は『日帰り伊勢物語』で傘をもらってそのまま来たイメージです。 https://t.co/4ajs3mFvN8
【13】
枚方線は開業後も不安定なまま……生駒参拝路線として計画して生駒に行けず、沿線開発もない状態じゃさもありなん。
信貴電はやむなく、信貴山電鉄設立時に持っていた株を手放すことに。
そもそもなんで競合線の免許とるのに協力して株も持ってたの? コスパ悪くない? という部分の答えが……
【14】
彼(山口氏)が専務になれなかった時に、当時の社長の「非紳士的な態度に憤慨」したという資料が残っているのも事実。
信貴電(社史)としては、信貴山電鉄株を「共存共栄の実をあげるべきであるとの結論」から保有していたことも事実。
そして、大軌がこういう人事をしたのも事実なんですよねぇ…