当時は京都にもいっぱいゲームセンターがありました。でも、まさか自分がゲーセンに通うとは思ってなかったです、行ったらアカン場所と教えられてたので。
「移植」って意味、辞書で引いても親に聞いてもイマイチぼやっとしてたけど、今webの辞書を引いたら、当時の辞書に載ってなかったコンピューターに特化した意味が載ってました。ちょっと感動。
当時はパソコン好きすぎて考えるだけで心臓ばくばくしてたので、あの頃を思い出すとやっぱり心臓ばくばくして懐かしいです。
パナソニックのFS-A1Fと、ソニーのHitBit HB-F1 XD(たぶん)、どっちを買うかめちゃめちゃ悩みました。
人生「このゲームの影響でこんな良いことがあった」は思い返せばたくさんあるけど、「おかげで1人でお手洗い行けるようになった」は、その後の人生に及ぼす影響尋常じゃなかったです。
今だからネタにできるようなものの、当時は人知れずずっと悩んでたので。
もともとのめり込みやすいタチ、にしてものめり込みすぎだろ! と今は思うけど、当時ファミコンの描く世界は私にとって本当にリアルだったし、操作を通して私は主人公だったし、まじでやられる! と体が脊髄反射したっぽい。本当に怖かったです『悪魔城ドラキュラ』、大好きでした。
wikiとかでファミコンやディスクシステムの発売タイトル一覧を見たら、当然すべてのゲームはやってないけど意外と色々やってたなーって感じました(貧乏なりに)。
500円は嬉しかったけど、大丈夫だったのかなー(採算的に)と今更気になってみたり……。
MSX『大魔司教ガリウス』に触れようと思ったけど時系列でいうとディスクシステムのほうが先だったので、先にこっちに触れておこうかな的な。
昨日に引き続き、ゲームが好きすぎて家族にはいろいろと迷惑かけてたなーと思う話です。
てっちゃんにも弟にも「あのときはありがとう、ごめんな」って思うけど、MSX持ってる人が周りに居なくてまじで飢えてたので仕方ないです(開き直り
なんでそんなにマヌケなの? って今は思うけど、当時は今以上にふわふわしてたし、情報の得方がわからなかったんですよねー。ファミコンは持ってる友達居たけど、MSX持ってる級友ができるのは暫く後のことでした。