日本の建武の新政~南北朝時代で後醍醐天皇が光武帝を自らに投影したのに応じ、征夷大将軍 足利尊氏が正当性のため大樹(=征西大将軍 大樹将軍 馮異)に準えられるのだけど、南朝でも懐良親王も征西大将軍そのものに準えられてて、1,200年越しに引っ張り🐙の馮異の概念
…後漢軍トップの大司馬 呉漢は?()
馮異を今まで「兄の劉縯でなく光武帝に直々に仕えた初めての臣下」と考察してきたのですが、地理と時系列の照合の結果で訂正でこれからは臧宮と論を変えます…(恥)
歴クラとは常に過去の自分に刺姦(督察・監察官)を置くもの…解像度を更新する度に赤面化が発生する…
学習漫画でよく題材にされる光武帝の金印下賜を自分なりに描くのが一つの目標だったんだよな。(それぞれちょっとずつ参考にした)
#世界史創作企画
最終回のお題:「推し」
後漢の初代皇帝、光武帝 劉秀
・・・と、漢倭奴國王印です。
日本史側でも初めての日本の史料での登場とその物証として大変重要な意味を持ちますが、中国史側でも大きい意義を持っています。
企画の運営、お疲れ様でした!ありがとうございました!
RT> 郭聖通の逝去日だったんですね…!?逃してました…12月1日の陰麗華の立后・郭聖通の廃位は忘れないようにしなきゃだ…
郭聖通のその後は劉秀の二男、沛王の劉輔の元に住み、沛王太后として生涯を送りました。
やっとの余暇時間が捻出できたので、最近の漢代に係る英文論文を片端に(斜め読みながら)読んでるのだけども、前漢が主であって、後漢及び光武帝〜章帝までのネットで公開された新しい論文は殆どないな…残念。