RT> 敬老の日!老骨に鞭を打って出陣する気概は、老いて益々盛んの馬援の心持ちが故事好きの曹操にはあったかもしれない
敬老の日、おめでとうございます。
2023は中国+台湾+昔の日本で敬老の日同等の9月9日「重陽の節句」で、菊酒が飲まれる由来の後漢の費長房の「後漢書の列伝の要約」と「菊酒慣習の由来(蒙求)」の4コマ漫画です!
…ゴーストスイーパー費長房は、最期は武器のお札忘れで霊に祟りコロされます。(史実)
「敬老の日」の1番有力かつ総務省統計局が公表し日本政府が公認している『兵庫県多可郡野間谷村が独自に制定した「としよりの日」が発祥』説では、
岐阜県の養老の滝伝説=後漢の光武帝・劉秀の後漢書に於ける洛陽の故事が元ネタ・由来です。
今日は「旧暦」において、西暦23年10月1日、新の都・長安が、再興を大義に押し寄せ(旧暦)た漢の兵(を自称し途中から群雄・鄧曄の部下になった王憲)によりとうとう開門、城内に漢兵が押し寄せ血の海になった、「新滅亡の1日目」から2,000周年です!!
光武帝4コマ漫画
「王莽の死、2日目。 (1日後に死ぬ王莽、4日後に滅ぶ新帝国)」
その時、劉秀は宛で飲み食いして笑ってました。
※ なお、後漢書ベース・後漢紀ベースだとまた別日です。
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【作品解説】兄・劉縯(劉伯升)が宛城を陥落、弟・劉秀が昆陽の戦いで王莽の軍事力を壊潰。両兄弟の人気を恐れた漢の更始帝は、劉縯を冤罪で殺す。
劉秀は、平常どおり飲食し笑い弔問客との交流を控えた。それを、馮異のみ警戒逃れの演技と理解した。
後漢紀では兄弟の幼馴染・朱祜が劉秀に憤り出奔する
三国志祭(11/3)と脳内コラボ考えたけど、
更始元年10月丸々
(西歴23年11月2日~12月1日)
劉秀(のちの後漢の光武帝)が河北へ。王覇の疾風勁草や鄧禹とかイベント色々(劉秀独立二千周年)
更始元年12月壬辰
(西暦24年1月16日)
王郎が河北にて「前漢成帝ご落胤・劉子輿」自称、反劉秀の挙兵
ぐらいか.
「社畜ぶりも推し活」…我ながら真理を得たり…
生前ならず墓の下でも光武帝は仕事をしてたそうなので…(※民間伝承)
RT> 草
桓帝代に曹騰が一発当てたと思われがちの、曹操の一族も後漢でも中興功臣として禄を(前漢建国功臣では珍しく)得てたらしいのは実はガチ