ヘアカットとガソリン給油の要急の出先のついでに古書店に行ったら、中古にしても物凄い安価でNHKスペシャルの漫画「ローマ帝国」があったので衝動買いしてしまった😎
参考文献も硬派だし、写真提供も各国博物館直々だし、扱う時代もロムルス〜西ローマ滅亡と広範かつ頁数多なので物凄いお買い得ゾ。
龍谷大学の飯田祥子先生の論文(タイトル忘れた…)でも同じテーマが論じられていましたね〜 光武帝の政権基盤の一期・二期・三期…毎に更始・前漢旧臣・諸劉氏…と所領を安堵しつつ権力が確固になり次第、パージしていく流れという… 張純や、恐らく曹宏も所領は安堵されたんじゃないかと思ってる。 >RT
鄧禹…大司徒業は伏湛に委任。しかし強権を行使し遠征軍を指揮。
伏湛…実質初代大司徒。前漢旧制を主管し、光武帝,鄧禹の留守中の総理を司った。文化重視。
侯覇…初期大司徒中で特に高評価の人。顔も広く後漢は侯覇の知識・記憶の構築部も大きい。
韓歆…資治通鑑等でおなじみ皆大好きクソリパー
侯覇は高歓没後南朝梁と建康を滅茶苦茶にした有名な人が皇帝即位時に先祖にされかける程後世にも名が通ってます
韓歆は、資治通鑑(十八史略もかな?)や後漢書の韓歆自身の伝は直言→自殺話しかないアッサリ具合ですが、岑彭・李忠列伝等、結構外部出演+其方の方が人格が滲んでるので取扱注意人物の1人
人選は適当でなくて、呉漢が遠征の際に比較的よく率いてる印象がある将軍達の面々です。
…のつもりだったんですが、改めて呉漢の率いた将カウントしたら馬武は意外と呉漢の大司馬遠征に従軍してなくて、馬武より断然朱祜の方が多かったです…(死んだ魚の目)
馮異と劉縯の話もだが、新末後漢初で最も混戦し経緯が後漢書の光武帝本紀と各雲台二十八将列伝で散りばめられ、また、移動や地勢要素が多く当該時代で特に地理把握が重要なのに難しい、西暦23年〜24年(更始元年〜2年)劉秀の河北行=対王郎戦(決着の邯鄲の戦いに至るまでの戦争)を地図を使いまとめたい