山上たつひこ先生のマンガに確かそんな話が......あったこれだ。官能小説と農業書が混ざって綴じられていて、買って読んだ客が激怒する話。
(山上たつひこ「玉鹿市役所ええじゃない課」6巻P96、秋田書店1983)
実際に起きるんですねぇ...。 https://t.co/rJ7rnLjlya
関谷ひさし「ルリちゃん」(新九州新聞1952-57連載)原画。わずかに現存する中の1枚。おしゃまでアクティブなルリちゃんが跳ね回る様を、関谷のペンが活き活きと描き出します。歳にして20代半ば、駆け出しとは思えぬ巧さに感嘆。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
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#関谷ひさし 展 第7章「描線の生命力ーー『侍っ子』」
70歳代の関谷のペンは、いまだ瑞々しさに溢れていました。コツコツと描き進めていた遺作「侍っ子」と、未発表作「ともだちケン」、そして最晩年78歳、おそらく最後のサイン色紙を特別展示。
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#関谷ひさし 展 第3章「東京進出ーー学研の学年誌」
新聞漫画で実績を積み、1954年には学習研究社系列の秀文社から『少年太閤記』で単行本デビュー。学年誌や少女漫画誌からも声がかかるようになり、57年には妻子を連れて東京進出を果たします。
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#関谷ひさし 展、残り会期3日!ですがこの展示はゴールでなくスタート。引き続き収蔵と研究と公開に努めます。
この「おやこでか」(掲載誌・年代未詳)も、ぜひ通読したいと思わせる洗練された軽妙さ。書誌調査と合わせ、何らかの復刻も宿題です。
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#ムロタニ・ツネ象 『学研まんが世界の歴史9』1992年 原画。学習マンガを一冊描き下ろすというのは実に細々した仕事の集合体で、同時代の主な出来事を俯瞰する歴史地図では、地図にはめ込むトピックを別途描いて組み合わせ、地図本体にも細々ビッシリと描き込みが...。
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#関谷ひさし のエッセンスは北九州時代に全て詰まっている。
超人的な仕事量。確かなデッサン力。生涯をかけて描き続けた情熱と愛情。
作品群が今ほとんど読めないことの歯痒さ。収蔵館の使命の大きさ。
展覧会は幕を閉じましたが、我々の仕事はむしろここからですね。
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ゆうきまさみ先生のコメントにちなみ、#関谷ひさし 展の展示原画から、漫画絵の「ケンカ泰平」(『COM』 1969年1月号)と、劇画絵の「つき」(同10月号)を。昭和30年代の印象が強い作家ですが、69年の時点でこの画力とこの幅広さであったのです。
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#関谷ひさし 展 第6章は、1970〜90年代の原画で構成。
少年月刊誌の黄金時代以降、一線から退いたとされがちな関谷ですが、描画力はむしろ研ぎ澄まされ、洒脱な大人マンガも手がけるなど、量こそ少ないものの、幅広く活躍を続けていたのです。
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#ムロタニ・ツネ象 原画お披露目展その3。新聞連載の「SF劇画」シリーズより「スペースマン」(毎日中学生新聞1967-69頃)。作家が手元に保存していた原紙切り抜きも貴重。作画スタッフに、後の艶話漫画家で甥っ子の成田アキラ氏の名前が。
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#関谷ひさし 「まりちゃんとぷち」(『小学一年生』)、「私のプチ」(『小学四年生』)、いずれも1961-62年。
「ジャジャ馬くん」他を続けつつの学年誌複数連載。超人的な健筆と、共通するモチーフを学年に合わせて描き分ける細やかな仕事に驚嘆!
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ネコ派の皆様には恐縮ですが #関谷ひさし 先生は圧倒的なイヌ派。本展メイン担当の学芸員も、サブの私も、揃ってイヌ派。
故に本展はワンコ成分かなり濃い目でお送りしておりますワンʕ•ᴥ•ʔ
原画は順に、私のプチ、愛犬ボロー、おはようケン。
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