道具は人を殺さない
人を殺すのはいつだって人でありその殺意だ
だが道具は使い方によっていくらでも可能性を伸ばせる
人を救うための道具にさえも
強力な兵器を持つだけでなく
その兵器を殺す為でなく救うために使う事が出来る
意志の強さと誇り
それを示す事が日本の自衛隊の命題だのだ
名前は親が子に最初に与えるギフト
けれどそれが全ていいものであるわけではない
親のエゴに走ったために子供にとって重い十字架になる場合もある
昔は名は体を表すとして子に付ける名前はことさら慎重だったが
今は名が子を殺すケースも少なくない有様 https://t.co/WxvoZtBg95
色々言われている美味しんぼだが
ここでの山岡の言葉はとにかく重い
即応性のある方法で救済が行われない限り
いじめの被害者が救われる事はまず有りえない
それがエスカレートした時点であるならば
なおの事対処を急がなければ命の危険すらもある
その事を考えない大人があまりにも多いのが問題だ
ネトウヨ、パヨクについての私の考えも
エンドウさんが完全に代弁している
そもそもこんな言葉の存在を許容している事自体が間違いなのだ
違憲の相違程度で人格否定にまで至るほどの差別を
名称で決めるのは果たして正義なのか
集よりも個を重視して本質を見抜かない限り
救いは訪れないと思う
マスコミの究極的な悪はエンドウさんで語られている通り
創られたウソを改変する事でいかようにもリアルに出来る強さが
マスコミのマスコミたるゆえんである
時にそれは社会的な抹殺をも可能にし
しかもマスコミがその責任を取ることはまずない
そうやって殺された、殺されかけた人のなんと多い事か
私も過ちを何度か犯した身だ
確かな事は私は言えない
だがMMDのこの閉鎖的ともいえる拒絶の空気を換えようと思う事は
無駄ではないと信じている
だから確かではないとしても私は肯定的な姿勢でいたい
それはきっとMMDの世界の中にも悪意的な意識があり
それに対して恐れる気持ちが拒絶反応を起こす結果なのだろう
その心理は私にも理解できる
だが悪意を恐れるだけでは永遠に克服は出来ない
悪意に負けない気持ちと同時に償いへの報いの精神を持つことが
克服の一歩となるのではないだろうか
私は中道右派と自認しているが
アンケートによる判定だと実は中道左派だったりする
そんな感じで個人の意識と実際には
必ずズレが生じる物だ
自分の主義がどちらに傾いているかは別に問題ではないが
物事の基準を自分の傾きにあわせると絶対碌な事にはならない
判断を下す者は中道を意識するべきだ