チノの手を引いて壇上へと導く。皆がお互いの個性と向き合い、時に喧嘩しながらも共に歩んできた歴史がなかったら、今回の文化祭は成功しなかったし、それはココアの手品も同じことだ。ココアがチノに披露した手品は、果たして本当に「イチかバチか」だったのか。個人的には、手品の成功は決して
出会いのきっかけは偶然だった
偶然の出会いが、いつの間にか相棒と呼べる存在になっていた
互いに拳を突き合わせ、未来に向けて、歩いていく
まだ見ぬ誰かの、笑顔を見るために。
Galaxy Unpackedを流しながら、ごちうさを読んでました
チノちゃんが街の外で生まれた可能性を示す描写は、2つ
チノちゃんは、物心つく前に少なくとも一度、列車に乗っている
この列車の目的地が近場だったとは思えません。トラムが走っている木組みの街で、短距離移動のためにわざわざ列車を使うのは、不自然だからです
と助け合いの輪が巡り巡って循環しているように僕には見える。ただ単に受け取ってばかりじゃなく、「この気持ちを返したい」という、純粋な想いがチマメ隊とブラバ組の間を繋いでる。だから、チマメ隊は今回の文化祭を共に過ごすことができた
誰も犠牲にならない、優しい世界
これぞ、ごちうさよな
答え合わせという意味では、ブラバ組も一つの到達点を迎えた。チノがマメと過ごせるように、フユがお膳立てを行い、ナツエルがそれをサポートする。初対面の頃のぎこちなさからは、考えられない連携プレーだ。結果的に、ブラバよりも先に三人で一緒に働く夢が叶ってしまった。おまじないはリゼシャロ
「One of Milky Way's Memories」。ごちうさにおける天の川は、沢山の「記憶」を湛えた星の集まりとされている
では、それは一体誰の記憶なのだろう?
「このまま時間が止まればいいのに」と願う誰かの楽しい記憶が、星となって夜空に輝き続けるとしたら、素敵だなって思う
と思ったけど、そうとも限らない…?
続くことを願った。あの時の千夜と同じ言葉を、今度はココアの口から聞くことになる。性格だけでなく、根源的な価値観や思想も共にする二人は、まさしく本当の意味で大親友なんだな、と思った。
このように、今回のお話はココ千夜の友情が主体だが、一方で二人はすれ違うことも多く、寂しくなった
自分を探すために、お嬢様学校へ。あの日の選択は、正しかったのか?その問いへの答えは、今月号が大いに示していると思う。マメの腕を取り、微笑むチノ。三人でひなたぼっこをする時間。全てが輝いていて、愛しい。ときめきポポロンの歌詞のように、何十年後も友達でいるチマメ隊の未来が見えたよう