【本間孫四郎遠矢事】
元弘三年、宮方の本間重氏は、湊川に迫る足利の大船団に向け、魚を捕らえて飛ぶ鶚を射抜いて船の中へ落した。足利尊氏は使者を立て射手の名を問うと、本間は矢に名前を書き入れ、尊氏がいると思しき六町先の船へ射送り、兵の鎧の草摺に突き立てた(太平記巻16)。
”三筆”弘法大師(空海)は、勅命で揮毫した應(応)天門の額の文字の点がいつの間にか失われていたので、筆を投げて正した話がある(今昔物語集「弘法大師亘唐傳真言経帰来語第九」)。江戸時代になると、空海が揮毫の時にすでに書き違えていたと解され「弘法も筆の誤り」のことわざとなって普及した。
【自天親王の兜】前田青邨は、川上村を訪れた際に特に許され、開かずの蔵から村の総代十数人が榊の葉を口にして、大事に取り出された門外不出の兜を、近くの小学校で、彼らに見守られるなかで写生したという(日本の冑ー前田青邨スケッチ集より)。現在春日大社の国宝殿に展示中(9/7まで)。