ライマルに関しては私は割と最後まで「くっつくのどうなの……!?」て内心ハラハラしながら読んでた。久井先生は意図のない表現はされない作家性ぽいので(もちろんそういう目でみるとだけど)、人間にさしたる興味を持ってないと言及されたライオスがマルシルには例外的な興味を持ってる描写が。 https://t.co/zKh8ANaDeD
マルシルの笑顔を気にかけてる=恋心と決めつけるのは短絡だが(迷宮探査を続行するため諸々合理的な判断をくだせるのがライオスだし、例外的な興味もパーティの一員だからとも解釈できる)興味と恋慕はほぼ近しい(どちらが上という訳では無論なく。それを多様性を描けてると表現した委員長の配信者力
ジムシャニ。しんにょうは、道路を表す「彳」と足を表す「止」を合体させた、歩くことや道を意味する漢字。それが下手だと嘆く子、いっぱい書けば大丈夫だと励ます子。それが裁断される。こーいう見立てを使ってくるのがスゴいシャニマス感ありますなあ。
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ライオスをキモいもしくはサイコパス呼ばわりすることの是非。ダンジョン飯は登場人物の価値観や視点がしっかりしてるので、人物Aからみたライオス、Bからみたライオスなど様々に描写されてるんでそれのなかのどれがより読者として印象に残るかの違いがあるのではないか。
ダンジョン飯の元ネタの一つ、ウィザードリィの『* いしのなかにいる *』 パーティが全滅するとその地点まで遺体を回収しに行かなければならないのがwizというゲームだけど、作中諸々の要素で迷宮外(壁)の座標に飛ばされると即全滅、遺体回収も不可能という最悪の状況になる。その再現が嬉しかった
アニメ初視聴組のひとらにはネタバレかも。ダンジョン飯シーズン1はチルチャックの熱い演説が全部持ってったそうだけどもその直後くらいにこんなコマを持ってくるあたりの九井先生の独特なバランス感覚が大好きで。
好きなエピソードを選べば、他人を見下すのもそれを反省するのもどちらも素直で、素直さは善人の条件かもなと思える階段の話。町の些細な変化に気付けるひとは他者もよく観察できてるという着地に納得感のある路地裏の話。旅する物干し台の絵面が楽しい物干し台の話とどれも私個人の萌え風景に繋がる。