昨年の大河ドラマの舞台になった十世紀は過酷な変動期であった。
https://t.co/NbIEEXFhkZ
まあ道長の時代って考古学の知見では弥生時代から続いてきた村落が一挙に消滅して入れ替わってるそうなので、地方はかなりやばげな感じの時代なんですよね。
惜しいかな西国が恭順し江戸も開城したこの時点では、外交が軍事を動かすののではなく、軍事により交渉が決する段階になっていたのでしょうな。
https://t.co/z5Kv8hWppE
読者がおなじみのあの顔、この顔。
萌えからほど遠い面相に刻まれた皺に、それぞれが重ねてきた人生をと想像させ、その涙と声と想いが、いま帰還した皇帝へとひとつに向かう。
長谷川先生の画力、すごいなあ。
国会図書館デジタルアーカイブに隅田古雄編, 楊洲周延 画の「函館戦記」があった。
この戦闘で負傷した本人が描いてるんですねえ。
ゲッターロボアークの早乙女博士、なんかいい人っぽく描かれてたが、サーガの映像化なので流竜馬のスカウトに殺し屋差し向けた人なんだよな。
「大尉十二、三年」の例が六藤大尉。
服装も物言いも将校らしくなく叩き上げの古参兵っぽいですが、1899年から1920年の間、下士官から将校への途は実質的に閉ざされていました。六藤大尉も中流の家庭から幼年学校か一般中学を経て士官学校に進んだと考えられます。
土屋少佐の下にいる天道少尉もこの現実に否応なく直面し、密かに煩悶していたに違いありません。
数年のうちに陸大受験に合格しないと「大尉十二三年」の運命が待っています。