なぜ呉座先生が陰謀論や日本国紀に容赦ないかは、ご本人の著作に簡潔に説明されています。
忠臣蔵の衰退の理由はもちろん色々ありますが、ひとつには法や世間に逆らっても立てねばならぬ己の一分があるという武士のエートスから、現代人がすっかり遠ざかってしまったということもありましょうね。
まあ道長の時代って考古学の知見では弥生時代から続いてきた村落が一挙に消滅して入れ替わってるそうなので、地方はかなりやばげな感じの時代なんですよね。
読者がおなじみのあの顔、この顔。
萌えからほど遠い面相に刻まれた皺に、それぞれが重ねてきた人生をと想像させ、その涙と声と想いが、いま帰還した皇帝へとひとつに向かう。
長谷川先生の画力、すごいなあ。
『秘録 退位改元』(朝日新聞社)読んだが、世論を味方につけて政府を追い込んでく上皇陛下がこんな感じ。
「大尉十二、三年」の例が六藤大尉。
服装も物言いも将校らしくなく叩き上げの古参兵っぽいですが、1899年から1920年の間、下士官から将校への途は実質的に閉ざされていました。六藤大尉も中流の家庭から幼年学校か一般中学を経て士官学校に進んだと考えられます。
安彦良和先生の「乾と巽 ザバイカル戦記」の三巻の、ザバイカルに進駐して一席ぶつ第三師団長大庭中将。
#煙と蜜 の土屋少佐も第六連隊大隊長としてたぶんこの場にいて、乱入するセミョーノフを目にするのだろう。