女子供のために、闘争や過酷な労働に殉じるっていうタイプの「男の美学」に対応する「女の美学」って、鬼滅の煉獄母とか藤の家のばあさんみたいな態度だと思うんだよな。女は、子を産み育てる性としての責務を果たすことが求められるのであって、男のように命を捨てることが美学じゃないと思うんだ。
はだしのゲンのこのシーンまんまですね。半世紀も経つと、都合の悪い歴史は忘却されていく……。
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異世界転生ものを笑うけどさ、レディコミなんて30年前から「なんのとりえもない女子中学生が古代メソポタミア文明に転生」からの、なぜかヒッタイト王国のイケメン王子に一目ぼれされたり、エジプトの褐色肌の細マッチョ将軍に見初められたり、挙句自分を取り合ってナイル川で裸相撲したりするんだぜ。
『天は赤い河のほとり』も『理想のヒモ生活』もそうだけど、「現代人の価値観を異世界に持ち込んだら『おもしれーやつ』扱いされて貴人にモテました」みたいな筋書きは、昔はけっこうこの種の転生(転移)ものでは主流だったんだよな。
韓国産カートゥーンって、けっこう、現代チート転生もの作品があって、一時期話題になった『外見至上主義(原題 외모지상주의)』のほかにも、伝説の軍人がいじめられっ子に転生したり、自殺した天才外科医が医学生に転生したりと、設定は様々。異世界だらけな日本は確かに特異的なのかもしれない。
というか、先日、大盛り上がりした、みんな大好き『天は赤い河のほとり』も、王子様から無理やりキスをされるところから始まってますからね。イケメン王子に強引にキスされる展開、女の子は大好物じゃないですか。でも、それはそれとしてそれって「強制わいせつ」ですよねという。
戒厳令クーデターなんか起こらないほうがはるかに民主主義として健全であると言えるのに、波風立てずに粛々と選挙してる我が国よりも優れた民主主義だと言いたがる人たちがいるの、更生した不良を褒めそやすムーブとなんら変わりないですよね。そんなみなさんに両津勘吉の金言を送りたい。
『鬼滅の刃』って家父長制的な価値観をかなり内面化してる物語だとは思うんですよね。それは大正時代という時代の精神を描いたからではあるのだけれど、それでも伝統とか家父長の責任とか、そういう現代では軽んじられてきたものを再評価して読者に投げ返すものではあった。
こう、本を片手に持って、ちょっと「困ったもんだ」みたいに眉をひそめながら、口元はにやにやとしながら「ひどいこというよね(笑)」みたいに冷笑するのが左翼の精神的自画像なんだろうな。
下位の男性がいることによって、そういう男性と番っていないことへの安心感を得る、みたいなのはあるのかもしれない。鉄骨渡りをしているカイジたちを見て楽しむ金持ちたち、みたいな。
『葬送のフリーレン』と『鬼滅の刃』のいずれも重要な部分は、「死者との対話」が物語の中枢をなしているということだろうと思う。悲惨な戦争の記憶から、戦後の日本人はいつも生の礼賛に必死だったけれど、こうした物語の復権は、死者への敬意が見直されつつあるということだろうと思う。
献血のときは、第二弾が出て、「私たちの意見が反映された結果!」って精神勝利キメたのよ。作者の丈先生が否定しても無視。赤十字がテンプレ謝罪したりしたのも良くなかった。要するに、ちょっとでも勝利要素があったらそれ強調して勝利の歴史にしてしまうわけ。