『葬送のフリーレン』と『鬼滅の刃』のいずれも重要な部分は、「死者との対話」が物語の中枢をなしているということだろうと思う。悲惨な戦争の記憶から、戦後の日本人はいつも生の礼賛に必死だったけれど、こうした物語の復権は、死者への敬意が見直されつつあるということだろうと思う。
戒厳令クーデターなんか起こらないほうがはるかに民主主義として健全であると言えるのに、波風立てずに粛々と選挙してる我が国よりも優れた民主主義だと言いたがる人たちがいるの、更生した不良を褒めそやすムーブとなんら変わりないですよね。そんなみなさんに両津勘吉の金言を送りたい。
『鬼滅の刃』って家父長制的な価値観をかなり内面化してる物語だとは思うんですよね。それは大正時代という時代の精神を描いたからではあるのだけれど、それでも伝統とか家父長の責任とか、そういう現代では軽んじられてきたものを再評価して読者に投げ返すものではあった。
下位の男性がいることによって、そういう男性と番っていないことへの安心感を得る、みたいなのはあるのかもしれない。鉄骨渡りをしているカイジたちを見て楽しむ金持ちたち、みたいな。
韓国産カートゥーンって、けっこう、現代チート転生もの作品があって、一時期話題になった『外見至上主義(原題 외모지상주의)』のほかにも、伝説の軍人がいじめられっ子に転生したり、自殺した天才外科医が医学生に転生したりと、設定は様々。異世界だらけな日本は確かに特異的なのかもしれない。
『天は赤い河のほとり』も『理想のヒモ生活』もそうだけど、「現代人の価値観を異世界に持ち込んだら『おもしれーやつ』扱いされて貴人にモテました」みたいな筋書きは、昔はけっこうこの種の転生(転移)ものでは主流だったんだよな。
@suna_kago そのあとの平和シーンとの「落差」でバトルって楽しくなると思うんですよ。温泉のある隠れ里でちょっと骨休めするわけじゃないですか。で、蜜璃さん出てくるわけじゃないですか。で、あのスケベシーンなんですけど、私ここのポイントは、蜜璃さんが微妙に主人公を認めてくれてるところだと思うんです。
女子供のために、闘争や過酷な労働に殉じるっていうタイプの「男の美学」に対応する「女の美学」って、鬼滅の煉獄母とか藤の家のばあさんみたいな態度だと思うんだよな。女は、子を産み育てる性としての責務を果たすことが求められるのであって、男のように命を捨てることが美学じゃないと思うんだ。