こういうのも、記号的表現であるのはもちろんだけど、描き手の内面の発露なんだよな。 この髪の毛の汗はもちろん目には見えないが、描き手の「頭皮が発汗する思い」「汗が体表を流れる、滴る思い」の再現であり、それを共有しているのだろう。
マンガ絵で「頬を赤らめる」表現でタッチを入れるのである。モノクロ原稿で赤らみを表現するためと思っていたが、カラーだろうがアニメだろうが、やっぱタッチが入る。自分でも入れたくなる。今気づいたがこれは、顔面を意識する描き手の内面に生じている線なのではないか。本宮ひろ志の口のように。
これらから藤子Fの内面を読み取ってみるのである。①や②の情緒は描ける者が他にもいるとして③がなかなか描けないと思うのだ。パパをロングで、情景の一部として描いている。ある意味彼を現実に突き放しているのだ。それが描ける峻厳さ、バランス感覚というのは稀有だったと思う。
「安保の時代を生き抜いたメンタル」というのを決して侮ってはいけないと思った。それは「文化大革命の時代を生き抜いたメンタル」と同様に、状況に応じた都合の良い変節を正当化し、それ自体を信義のようにして恥じない。きわめて現実的な処世の術なのだ。
今週のモーニングで、島耕作の亀淵が死んでいて慄然とする。一部で有名なこの男である。この漫画においては「島耕作を妨げるもの、死の翼に触れるべし」であり、誰もがすっかり忘れたと思っていたが、島耕作世界の神は執念深く覚えていたのだ。もちろん島耕作は彼の死に麗しく涙を流す。