これ原作もらって、2コマでこの絵にまとめられるだろうか。意外とできないと思う。シンの影が、ちゃんと北斗と南斗、闇と光の対比になっている。原哲夫はもちろん絵が上手いのだけど、特に初期は構成力も巧みである。まるでハリウッド映画のように見えたのは、達者なデッサンの力だけではない。
「わしはブラックペッパーの精じゃ 釜玉うどんにかけるとカルボナーラみたいで美味いぞ」
「うるせえ殺すぞ、そこは七味に決まってるだろが」
これな。一コマごとにとんでもなく飛躍がある。ムチャな状況を連続させている。ドラマの脚本ならボツにされるんじゃないか。しかし恐ろしいことに、マンガだと別に気にもならずスッと読めちゃう。藤子Fがマンガの特性や許容値を、どれくらいの飛躍になら読者がついてくるかを正確に知っているからだ。
「夜が明けたらドラえもんがいなくなってる」という状況を成立させるために、この辺りの展開は実はムチャクチャなのだ。ジャイアンの夢遊病という唐突過ぎる設定が突然出てくる。けど今言われるまで気づかなかったろう。気づかせないだけの構成力があるのだ。藤子Fの一番おそろしい部分だと思う。
コロナが流行るから外に出るなとか、なのにマスクがないとか、ロクに検査しないとか、病院に行かないとか、お肉券とかアホなこと言い出して結局くれないとか、全部要するに我々の業界(日本人)ではご褒美なのだ。ああもっと無茶を言ってくれ。我々は耐え抜く。そこに屈折した美を感じる。マゾである。
「不要不急の外出を控えてね、特に何もフォローはしないけど」と言われて本当に東京の街に人がいないらしい。日本人のコロナ対策というのは究極的にはこの図であろう。心底マゾヒストなのだ。別にお上に忠節を感じてるわけでなく、というかお上はどうでもよくて、単にこういう我慢大会が好きなのだ。