いや「狙撃」ってそういうもんじゃないだろ。
…な? これだけわかっててもツッコんじゃうだろ。続き読んじゃうだろ。この間だよ! 誰も勝てない。
「彼岸島」の作者って本当に天才でさ。こんなのずっと描き続けられるやついないぜ。読んでて笑うしかないんだけど本人はわかってるんだかわかってないんだか絶対笑わない、絶妙の「間」がある。これができてる作者ってゆでたまご先生くらいしか知らない。北斗の拳が失くしちゃった「間」でもある。
安彦良和の「クラッシャージョウ」という映画は、作画が凄いのだがあんま人気がなかった。甘ったるくて爽快感に欠けるから。あれ、最後にマチュアが死なず、宇宙軍のカッコいい恋人とか出てきてジョウが盛大に振られ、ギャグっぽく大泣きしたら面白くなったんじゃないか。「ラシャーヌ!」のアレだ。
「もともと強いからよ」という「花の慶次」のこのセリフも、きちんと読めばその先があるのがわかる。虎は異物として人に恐れられ、罠に追い込まれ、人の世で、人と同じように安楽に暮らすことは決してできない。「だが、それがいい」ここにもまた別種の悲しみ、ヒロイズムがある。
せっかくいい画像をもらったので。多分このメニューは実物の引き写しと思う。「ワイン」でなく「赤ブドー酒」に注目して欲しい。この頃まだワインをちゃんと飲む習慣はなかった。魔美の父ちゃんも知識として持ってはいても、どれだけ味がわかってたか怪しい。甘いほうが美味いという世界だった。
ちなみにこれ多分、藤子Fが銀座のマキシム・ド・パリに行ったのだと思う。似たようなエピソードが「エスパー魔美」にも出てくる。今ではもう食べられない。コッテコテの「絵に描いたようなフランス料理」であった。
ここには、スネ夫がやたらと「上流」「高級」をひけらかすのと同じ、高度成長ならではの背伸びがあるように見える。「そこらへんのピアノとは違うのよ」という。そういった実例を藤子Fはどこかで見聞きし、それが示準化石のようにドラえもんの設定に刻まれている。そう考えるといろいろ楽しい。
巨人の星と同様に、ヤマトもおそらく過剰なドラマ性から離れることはできなかったろう。どうあっても悲劇的結末に犠牲的精神で突っ込まないと話が成立しない。背負っているものがあくまで「日本の戦後」だからだ。回を追うごとにより凄惨で悲劇的な結末を求めていた当時の自分を空しく思い出す。
この「関西一のつっぱり」という概念の奇妙さは、実のところ「海道一の弓取り」とそう変わるところがないのではないか。そう考えるとどおくまんの持って生まれた鋭い洞察力、バランス感覚と、それゆえに車田正美になりそこねた感が際立ってくる。普通は四千年前の木刀や古代ギリシャは出てこない。
なんかもう少年時代のルークとオーウェンおじさんの心温まる感動エピソードとかできてやがんの。いやあの、開始15分くらいで思いっきりガイコツにされてたおっさんですがなあんた。