多分こういうのはアシスタントが描くのである。んでアシスタントとしてこの絵描かされたら結構大変であろう。角度を変えた注射器がずらっと液面に浸かっている。しゃぶしゃぶ鍋に雲形定規でタッチを入れるのも面倒だ。んで百人が百人とも読み飛ばす絵である。かわいそうだからまじまじと見ている。
手塚治虫はあれだけの天才なのだけど、手より頭がさらに天才だったのだと思う。対水木しげる作品としての「どろろ」対吾妻ひでお(ロリコン)作品として「プライム・ローズ」。相手の本質を見抜き、その弱点を補うワンアイディアすら加える。だが超人的作画力を持つにせよ、右手は一本しかなかった。
「絵を描く」という行為は、アウトプットがそれなりに似通っているというだけで、作家が何を見て、何を表現しているのかは全く違ったりする。高橋留美子はキャラクターを前髪からいきなり描く。そこにきっと独自の意味があるのだ。生頼範義の絶筆にもそうした秘中の秘が隠されている気がしてならない。