ひょっとして…いい歳をしたオタクたちが政治問題にハマってしまうのは、今のアニメやマンガやゲームが面白くないせいなのか…? 富士鷹ジュビロ先生みたいなアレなのか…?
「うる星やつら」と「かぼちゃワイン」というのがあって、30年くらい経つと一方では男の子が若干おとなし目となり、一方では女の子がおとなし目になっている。良し悪しでなく、ここにもそれぞれの視点を感じるのである。
「ドラえもん」「21エモン」「モジャ公」「ざしきボーイ」…藤子Fのキャラクターづくりを見ると、彼なりの必勝法のようなものが見えてくる「突飛なもの」「古風なもの」を混ぜることによる安定感、コラージュの面白み、彼はかなり意識してキャラクターメーカーとしての自分を作っていたように思う。
これ、ゆでたまご先生なら両手に20ドルを持たせて「に、二刀流」「そうだ! そしてここにひねりを加えてさらに3倍の1200ドルパワーだ~!」とかやってくれるよな(子供黒コゲ)
ガイアーのニッカボッカ風な足はおそらく地球ナンバーV7あたりから引きずっており、鳥山明の多用するエイリアン風意匠と同じく「これ入れとくとウケるんちゃうか」という無意識の方向性なのだと思う。なぜそう思うに至ったのかはナゾだ。どこかに「カッコいいニッカボッカ」の源流があったのか。
今思うと「セカンドマン」の実にビシっとした完成度の高さって学年誌連載だったのが大きいのかな。描き飛ばすマンガの対極にあって「うかつなもの見せられん」みたいな緊張がある。藤子不二雄はその権化みたいなところがあるけど。