#関谷ひさし 展 第7章「描線の生命力ーー『侍っ子』」
70歳代の関谷のペンは、いまだ瑞々しさに溢れていました。コツコツと描き進めていた遺作「侍っ子」と、未発表作「ともだちケン」、そして最晩年78歳、おそらく最後のサイン色紙を特別展示。
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#関谷ひさし 展 第6章は、1970〜90年代の原画で構成。
少年月刊誌の黄金時代以降、一線から退いたとされがちな関谷ですが、描画力はむしろ研ぎ澄まされ、洒脱な大人マンガも手がけるなど、量こそ少ないものの、幅広く活躍を続けていたのです。
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#関谷ひさし 展第5章「止まらない活躍ーー『ジャジャ馬くん』から『ストップ!にいちゃん』へ」
この章では1950年代末〜60年代中後期の代表作を原画でご紹介。「ジャジャ馬くん」のヒットから月刊少年誌を総なめにしていく快進撃をご覧あれ!
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#関谷ひさし 展 第4章「月刊誌時代のスポーツマンガ」。
従来の丸っこいユーモアマンガと、シャープな関谷作品を比較。関谷が後代に与えた影響を可視化したかったのですが、力及ばず。読める単行本を置く手法も今は難しく...。宿題とさせて下さい。
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#関谷ひさし 展 第3章「東京進出ーー学研の学年誌」
新聞漫画で実績を積み、1954年には学習研究社系列の秀文社から『少年太閤記』で単行本デビュー。学年誌や少女漫画誌からも声がかかるようになり、57年には妻子を連れて東京進出を果たします。
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#関谷ひさし 展、第2章は「北九州時代ーー『まんが新九州』からの出発」
新九州新聞社発行の『まんが新九州』投稿欄で頭角を表し、同社へ就職した関谷の、1950年代の作品群を展示。洒脱な描線と動きのある表現は、この頃すでに芽吹いていました。
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#関谷ひさし 展、8/19水からの後期展示の前に、前期のみの作品をお届け。「愛犬ボロー」(『デラックス少年サンデー』1970年1月号)。コマごとに変わる背景の色彩が、コロコロと動く少年の豊かな表情のようで、実に細やかで愛らしい。
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関谷ひさし展の展示作品から、書誌未詳の「珍遊記」。体裁から新聞の類であろうし、絵柄は1950年代かしら...手がかり無し。なお第1話は戦国時代劇の趣向だが、回が進むと(いきさつは不明ながら)ちゃんと「西遊記」になる模様。
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#北九州市漫画ミュージアム で寄託収蔵する #関谷ひさし 原画は約1万6千点。未単行本化作品が大半で、書誌不明なものも多い。この原画も欄外の書き込みから『少年少女新聞』掲載の「スポーツ王くん」としか分からず、年代は絵柄から60年代後半と推定。今後も根気よく調査。
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70歳代の #関谷ひさし が、出版予定はないままにコツコツ描きためた遺作「侍っ子」(2008年)。その原形とみなせる作品が「バカうけ用心棒」(『週刊少年キング』1976年)。浪人と少年の軽妙な人情劇という同じ趣向で、絵柄は洗練を重ねている。
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町山智浩さんのコメントにちなんで、 #関谷ひさし 作品のヒロインを展示原画から。「小さなドラゴン」(『少年キング増刊』1975年)と「リリーフサッちゃん」(『小学五年生』他、65-66年)。年代を問わず潑剌たる女性を描き続けた関谷先生なのです。
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ゆうきまさみ先生のコメントにちなみ、#関谷ひさし 展の展示原画から、漫画絵の「ケンカ泰平」(『COM』 1969年1月号)と、劇画絵の「つき」(同10月号)を。昭和30年代の印象が強い作家ですが、69年の時点でこの画力とこの幅広さであったのです。
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