百年前の今日。1924年3月9日、女性マジシャン松旭斎天勝がサンフランシスコで在米邦人向けのステージに立った日。
メンバーはGeisha girlsと呼ばれた小天勝や亀子、手練奇術の達人36歳の石田天海ら25名。
3月はサンフランシスコを皮切りにカリフォルニア州各地を回る予定。
#手品史 #magichistory
戦前からアジアオセアニアを股にかけて活躍している松旭斎天洋。1枚目から大連の三越百貨店、フィリピンのマニラとダバオ、朝鮮半島。
天洋というとマジック道具メーカー「テンヨー 」の印象が強すぎるのだけど、パフォーマーとしての姿も探してみると面白いかもしれない。
#magichistory #手品史
Jeki Yooが「紙うどん」を演じてる。(発音がいいな……)
現在と同じ方法ではないが江戸時代から演じられていた手品で、画像は『手妻独稽古』Tezuma Hitori Geiko 1843年より。
#magichistory #手品史 #紙うどん https://t.co/DTYbXXFT5f
9月23日の手品史。
・1909年9月23日、デンマークはコペンハーゲンで日本人手品師セトが植瓜術を演じる
・1916年9月23日、女流手品師の松旭斎天勝が韓国の釜山座でテンペストを披露
・1933年9月23日はブラジルはサンパウロの手品師 福岡天一がトラブルを起こし訴えられる
#手品史 #magichistory
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松旭斎天勝が1939年に一度限りの舞台復帰したとき、相弟子の松旭斎天洋が新聞に寄せた文章を見つけた。
天洋は水芸を松旭斎のお家芸と自負しており、「他の奇術屋さん」がやる「たゞ水が出たり消えたりする」のは芸術でなく「まねこと」だと断じているのが興味深い。
#magichistory #手品史
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「千里眼事件」で知られる心理学者の福来友吉(1869-1952)が、奇術師の地天斎貞一(角界上がりで得意技はメリケンハット)との交流を明かしている。
心理学者だと野上俊夫もミスディレクションについて自著で触れていて、このあたりのネタ元や人脈も調査テーマとするところ。
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1932年の『朝日年鑑』に、吉本興業系の寄席でも活躍した奇術師「木村マリニー」の名前を見つけた。映画監督の木村荘十二の実兄。
この頃はセミリタイヤして写真館を経営していたようで、写真の腕前は「大阪有名芸術写真館」に挙げられるほどらしい。
https://t.co/Biud8ihg9G
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西洋奇術の旭マンマロ、中村一徳の登場する滑稽本を見つけた。関由蔵『地口絵本』1886年。「地口」というのは言葉遊び(洒落)。
歌舞伎や浄瑠璃関係から取り上げられる中、奇術師ではこの二人だけ掲載。松旭斎天一や帰天斎正一が台頭する直前のこと。https://t.co/NbHJ25f4KA
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1932年にブラジル・サンパウロに現れた日本人奇術師・福岡天一。
かなり大掛かりなマジックを披露して巡業していたのだが、実は日本国内におけるマジック道具販売業の先駆けでもある。
南米の日本人奇術史というのは非常に魅力的で、個性豊かなマジシャンが多く登場する。
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二代目の松旭斎天一(天二)は1921年に流行性感冒(スペイン風邪)で急逝するが、一座はすぐに解散するのではなく妻・天栄が継いで各地を巡った。
「天一家元松旭斎宗家」を掲げるあたり、天勝を強烈に意識していたことが窺える。記事は1922年だが30年代には解散している。
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1929年の松旭斎天勝一座。この公演には浅草オペラで知られた晩年の澤モリノが参加した(1枚目)。
プログラムは洋楽合奏やダンス、五節舞、大小魔奇術、澤モリノの舞踏ほか。
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1938年、クラブ美身クリームを50銭以上購入すると招待券が配られた演芸大会。
奇術は「笑ったら最後 笑ひのおさまらぬ松旭斎天右一座」。意外にコメディマジックだったんですね。
共演は漫才のアサヒ日の出、ミス若葉ら。こちらは二人の漫才音源。
https://t.co/FKkBoCYpYc
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