1941年に公開された初代天勝の出演した映画『世紀は笑ふ』(マキノ正博、日活)。
杉狂児は天勝一座にも在籍経験がある人物。フィルムはロシアで数十年ぶりに発見されたものの一部が欠落。
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1941年ということで下方に「熱だ力だ総力戦だ」の一文が。
#手品史 #magichistory
初代・天華は天勝一座から兄の曲芸師・萩原秀長と独立してシンガポールなど海外でも巡業したものの、1920年に24歳で逝去。
急遽代役として、ダンサーの座員である足立鶴子が二代目を継いだ。写真は京城巡業中の二代目・天華。
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「千里眼事件」で知られる心理学者の福来友吉(1869-1952)が、奇術師の地天斎貞一(角界上がりで得意技はメリケンハット)との交流を明かしている。
心理学者だと野上俊夫もミスディレクションについて自著で触れていて、このあたりのネタ元や人脈も調査テーマとするところ。
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1929年の松旭斎天勝一座。この公演には浅草オペラで知られた晩年の澤モリノが参加した(1枚目)。
プログラムは洋楽合奏やダンス、五節舞、大小魔奇術、澤モリノの舞踏ほか。
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1926年5月の朝鮮新聞から、女流奇術師・松旭斎天勝の全段特集記事。京城(ソウル)の朝鮮博覧会に出演。
外国人ピアニストや踊り子、ロシア舞踏、ジャズとバラエティ一座としての色を強めるこの時代。
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1926年11月3日、日本の新聞に載ったハリー・フーディニの訃報。
脱出王、イカサマ心霊術を暴くサイキックハンター、飛行家、さらに俳優としても知られた奇術師。
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百年前の今日。1924年3月9日、女性マジシャン松旭斎天勝がサンフランシスコで在米邦人向けのステージに立った日。
メンバーはGeisha girlsと呼ばれた小天勝や亀子、手練奇術の達人36歳の石田天海ら25名。
3月はサンフランシスコを皮切りにカリフォルニア州各地を回る予定。
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1932年にブラジル・サンパウロに現れた日本人奇術師・福岡天一。
かなり大掛かりなマジックを披露して巡業していたのだが、実は日本国内におけるマジック道具販売業の先駆けでもある。
南米の日本人奇術史というのは非常に魅力的で、個性豊かなマジシャンが多く登場する。
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9月23日の手品史。
・1909年9月23日、デンマークはコペンハーゲンで日本人手品師セトが植瓜術を演じる
・1916年9月23日、女流手品師の松旭斎天勝が韓国の釜山座でテンペストを披露
・1933年9月23日はブラジルはサンパウロの手品師 福岡天一がトラブルを起こし訴えられる
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松旭斎天勝が1939年に一度限りの舞台復帰したとき、相弟子の松旭斎天洋が新聞に寄せた文章を見つけた。
天洋は水芸を松旭斎のお家芸と自負しており、「他の奇術屋さん」がやる「たゞ水が出たり消えたりする」のは芸術でなく「まねこと」だと断じているのが興味深い。
#magichistory #手品史
戦前からアジアオセアニアを股にかけて活躍している松旭斎天洋。1枚目から大連の三越百貨店、フィリピンのマニラとダバオ、朝鮮半島。
天洋というとマジック道具メーカー「テンヨー 」の印象が強すぎるのだけど、パフォーマーとしての姿も探してみると面白いかもしれない。
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Jeki Yooが「紙うどん」を演じてる。(発音がいいな……)
現在と同じ方法ではないが江戸時代から演じられていた手品で、画像は『手妻独稽古』Tezuma Hitori Geiko 1843年より。
#magichistory #手品史 #紙うどん https://t.co/DTYbXXFT5f