1926年5月の朝鮮新聞から、女流奇術師・松旭斎天勝の全段特集記事。京城(ソウル)の朝鮮博覧会に出演。
外国人ピアニストや踊り子、ロシア舞踏、ジャズとバラエティ一座としての色を強めるこの時代。
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1920年5月の京城日報から「女奇術師 松旭斎天露の告白」。
松旭斎天露、記事中の天直については調べても出てこない。
「人としての苦しみと藝人としての誇りと變態なその性格と!」と穏やかでないですが、一座を率いて上海に行ったようです。
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朝鮮半島での松旭斎天勝、1915年、1926年、1931年の京城。毎回、平壌など地方にも行っている。
ジャズ、ピアノ、演劇を取り入れたプログラム。
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初代・天華は天勝一座から兄の曲芸師・萩原秀長と独立してシンガポールなど海外でも巡業したものの、1920年に24歳で逝去。
急遽代役として、ダンサーの座員である足立鶴子が二代目を継いだ。写真は京城巡業中の二代目・天華。
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1926年11月3日、日本の新聞に載ったハリー・フーディニの訃報。
脱出王、イカサマ心霊術を暴くサイキックハンター、飛行家、さらに俳優としても知られた奇術師。
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奇術師の個人情報といえばこれ。
・松旭斎天勝の本名、住所(日本歌劇俳優名鑑)
・小天勝の本名、住所、学歴(日本歌劇俳優写真名鑑)
・松旭斎天洋の本名、電話番号(昭和四年電話帳)
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1903年、アメリカ・オレゴン州に現れたJapanese Juggling and Acrobat のテツワリ一座。広告でも筆頭に上がる実力者のようです。
幕末にいち早く海外興行に出かけた鉄割一座の系統でしょうか?(三枚目画像は江戸期)
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1933年の朝鮮新聞、藤村梧朗と明石須磨子。
奇術プログラムにオペラやジャズが入るのは当時珍しいものではないものの、松竹派天勝には歌劇団出身者が何名かいたようなのでそのつながりか。
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1941年に公開された初代天勝の出演した映画『世紀は笑ふ』(マキノ正博、日活)。
杉狂児は天勝一座にも在籍経験がある人物。フィルムはロシアで数十年ぶりに発見されたものの一部が欠落。
https://t.co/VPf467KSfC
1941年ということで下方に「熱だ力だ総力戦だ」の一文が。
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1938年、クラブ美身クリームを50銭以上購入すると招待券が配られた演芸大会。
奇術は「笑ったら最後 笑ひのおさまらぬ松旭斎天右一座」。意外にコメディマジックだったんですね。
共演は漫才のアサヒ日の出、ミス若葉ら。こちらは二人の漫才音源。
https://t.co/FKkBoCYpYc
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1929年の松旭斎天勝一座。この公演には浅草オペラで知られた晩年の澤モリノが参加した(1枚目)。
プログラムは洋楽合奏やダンス、五節舞、大小魔奇術、澤モリノの舞踏ほか。
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二代目の松旭斎天一(天二)は1921年に流行性感冒(スペイン風邪)で急逝するが、一座はすぐに解散するのではなく妻・天栄が継いで各地を巡った。
「天一家元松旭斎宗家」を掲げるあたり、天勝を強烈に意識していたことが窺える。記事は1922年だが30年代には解散している。
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