「雲よ、伝へて!其の八」のこの場面、
郵便報知新聞、犬養木堂の第八報を現代語訳したものです。
原>「時に官兵の傷を負うて退き来る者に会う曰く誰ぞ、答えて曰く新聞記者なり、と。官兵予輩の神色自若たるに驚きかつ教えて曰く予が服装に官の章なし、恐らく我党にうたれん (続く 
   1/19新刊
「甲州間者と"珍"撫隊 ー板垣さんと俺と土方歳三ー」
この場面に出てくる近藤さんの横で酔っ払っている人は
実は永倉新八です。しかしあえて名前は入れていません
バカにしてごめんw
別紙解説に参考資料、慶應4年(明治元年)年表、土佐藩と官軍の軍服事情他をつけます
#関西コミティア71 
   今年は「雲よ、伝へて!」シリーズ完結したり、九州の歴史人物をいっぱい描いたりしました。
(うう…イラストは苦手なの;)
革命前のロシアは興味深かったなあ。
念願の佐賀城と福沢諭吉記念館も行けました!
楽しかった〜
#今年も残りわずかなのでお気に入りの4枚を貼る 
   「雲よ、伝へて」其の五は西南戦争、高瀬大会戦の後でした。
木葉くらいまでは調子良かった薩軍、戦況が変わって初めて潰走。西郷小兵衛(其の四)で亡くなりました。
犠牲者や死者を軽く扱うべきではないのですが、
逆に再度5話でも「号泣」を描くべきなのかどうか…悩んだ末(続) 
   うちの漫画でも小説でもないレポ+エッセイ+イラスト本
飫肥隊の小倉処平、小村寿太郎とラブラブだった話と、処平が痔で悩んでた事を書きました。プリンター調達できれば1/23関西コミティアでも(下記はPDF版)
賊軍☆上等! | 田原坂46 
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   有馬源内はレギュラー漫画には超脇モブにしか出してないです。(メガネ多すぎという理由で)
今回の新刊には出ます。
有馬も投獄されたけど生き残って後に東肥新聞の記者。
熊大の校舎建築(土木)にも関わったっぽい。 
   新刊の説明がてら。
【熊本植木学校】西南戦争の西郷軍に熊本から参加した
熊本協同隊の元となった寄宿学校。まだ国会すら無い時期に自由民権を唱え、ルソーの民約論を勉強。
しかし中央政府に危険とみなされ、僅か半年で廃校に。
「雲よ、伝へて!」のシリーズでも追っています。
#COMITIA140 
   「其の五」で描いた谷村くんから
「其の六」の村田新八と岩熊の関係
そして次回「其の七」が高橋長次とお母さん
…という、そういう家族とか
関係性も見ていただけたらちょっと嬉しいです。 
   ちょっと前回の「雲よ、伝へて! 其の六」の時の話。
実はこの話は先に小説でちょっと書いてて。漫画版のラストは完全に創作にして、「村田岩熊は記憶を失ったけど、死んだ事になって無事に(父から逃れ?)別名で明治を生きる…というエンドのアイデアもあったのです。でもそうしなかったです。