「恋する民俗学者」第13話
西欧のロマン主義文学を模倣するように向こう岸の少女との恋に溺れる國男を、文学のような恋に相手の女性を巻き込んできた藤村は婉曲にいさめようとするが届かない。
秀子はまるで小説の読者のように二人の恋を見つめるしかない。
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「恋する民俗学者」12話
自ら詩の世界で恋に溺れる國男に短歌の師松浦萩坪は「旧派」である自らの桂園派を継がぬかと謎かけのように言う。「実際」を生きようとする花袋はしかし「國男の恋」を描くことに呪縛されたままである。
國男の弟静雄は「海上の道」について語る。
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「恋する民俗学者」第11話
「文学界」を休刊した國男の仲間達。玉茗は故郷の僧侶に湖処子は信仰にと「実際」の人生を選択。花袋は独歩の「武蔵野」に衝撃を受ける。
一人、恋に絡め取られる國男の幼年期の「神隠しに遭いやすい気質」に兄・鼎は不安を隠せない。
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「恋する民俗学者」第10話では花袋や藤村たちの「同人誌」作りが描かれます。束の間、仲間たちが集まり熱気に包まれ、そして終わっていく運命にある。それは今と変わりません。
藤村は同人誌「文学界」休刊で自分たちの「アマチュア」の時代の終わりを宣言します。
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「恋する民俗学者」第10話こぼれ話
「文学界」は明治26年創刊。ロマン主義の拠点的雑誌だったが末期は中川恭次郎宅を発行所とした。藤村は休刊に当たって自分たちは長すぎたラファエロ前派だと自嘲する。
彼らが「ここにないどこか」を夢想するロマン主義に別れを告げた時それぞれの文学が始まる。
「恋する民俗学者」10話
玉茗の妹りさと手探りで「実際」の恋を生きようとする花袋。國男は現実から逃れるように秀子を裏切り向こう岸の少女と関係を結ぶ。
藤村や恭次郎は終わりかねている自分たちの青春に決着をつけるべく拠点だった同人誌「文学界」の休刊を決意する。
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顔のでかい尼僧の画像(左)にこのコメントをつけた方、実はいいところをついていて作中では「尼僧」の「乳」は奇怪さのフックに使われます。
巨大な乳→巨大な顔という展開。 https://t.co/gYQ2oEszmy
まんがに変換作業中の「土蜘蛛草子絵巻」、「稲生物怪録」と同じく「妖怪屋敷」ものの構成です。
宙を彷徨うドクロを追って廃屋にやってきてそこで怪異な尼僧らと次々出会っていくという導入です。
定石をきちんと踏んでいる。
「恋する民俗学者」第8話
自らの恋を虚構だと自嘲するように國男は花袋らと刊行する同人誌「文學界」にフェアリーテールを送りつける。独歩は文学が夢見る時代の終焉を予感し、花袋は國男の恋を描くため独学でゾラなどの自然主義文学を学ぶ。
明治文学が密やかに動き出す。
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「土蜘蛛草子絵巻」のまんがへの変換作業進行中。ラフが届く。「酒天童子絵巻」ではサブキャラだった頼光四天王の筆頭・渡辺綱が主役。本にまとめるのは都合がいい。
ホラーの定石っぽく淡々と前半が進む構成になっているのを絵コンテ担当の子達はうまく生かしている。
秋には公開したいなあ。
明治文学史を描く「恋する民俗学者」第8話 こぼれ話
作中で島崎藤村が「私なんか」と繰り返すがこの自己卑下の口癖を柳田國男は「うぬ憎み」と評した。
柳田の屈託に満ちた藤村論「重い足踏みの音」の中にある。
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