ありま猛先生の1980年再デビュー作品「ざ・大物伝」掲載のリイド社『劇画ダッシュ』を読み返してみましたが意識的に無神経キャラを描いていて、このキャラ性格がリイドコミックの出世作「道連れ弁当」に引き継がれます。「ざ・大物伝」の結末はどんな批判質疑にも動じない議員になるというオチです。
「親分子分」で駕籠といざり車が競争する場面がありますが、手塚治虫「来るべき人類」(1956年)でいざり車が出てくる場面も「親分子分」ぽい感じがします。
新関健之助「親分子分」(1937年)のこの階段落ちの場面は戦前の漫画とは思えないくらい見事で手塚治虫「奇蹟の森のものがたり」(1949年)でも階段落ちの場面があるけれども「親分子分」を意識して描かれたような気がします。
手塚治虫の初期作「奇蹟の森のものがたり」の自画像は鼻のブツブツが描かれておらず昭和20年代の作品でも見当たりません。この鼻が描かれたのは昭和31年頃からのようで「来るべき人類」(1956年)あたりから描かれています。この自画像の原型が新関健之助のキャラなのか気になるところです。
昭和12年(1937年)『譚海』誌連載の新関健之助「親分子分」を読んでたら、あれ?手塚治虫がいる?と思うようなキャラクターが出ていました。「親分子分」は昭和10~12年に2年間ほど連載していた作品でこれはバカ殿様の側近の家老役です。
肉の固い親鳥の骨付鳥が名物の香川の一鶴が通販無料にしていますが、愛媛出身の矢代まさこ先生が「よっこヒヨッコ逃亡記」(1966年)で親鳥を食べる場面を描いていて、これを見ると四国でも親鳥を好んで食べる習慣は無かったような感じがします。
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川崎市民ミュージアムで公開された新関健之助(新関青花)作品を見ると、新関健之助のほうがデッサンが精密な感じがします。「しろちび水兵」P40、P104のテーブルやP36、P137の水滴などを見比べると別人かもと思いますが、はっきり断定はできません。
実は私が「おとこの口紅」を最初に読んだ時に、似た感覚を受ける作品として星野茂樹(原作)・ほんまりう「R探偵事務所」(1999年)を思い浮かべたのですが、ほんまりう作品は常山プロ作品に通じるところがあるのかもしれません。第4話「聖なる河」は特に印象に残っています。
谷真沙美「姉弟」(1961年7月)、矢代まさこデビュー作「ちいさな秘密」(1962年9月)ではどちらも戸に耳をそばだてる場面があるのですが、これを見て同一人物と判断できるものだろうかと思います。みやわき心太郎先生ほどの眼力だとそれも可能だったかもしれません。