自分にとって都合のいいことが起き続けるのも、不幸・災厄と同様に運命の介入であり、それに立ち向かうための「真実に向かおうとする意志」とは何か。ということに対して、懺悔室はかなり真摯なアンサーを示していたと思う。
すぐガンダムの話するの健康に悪いから岸辺露伴の話するけど、懺悔室はここをガッツリ拾って「本人の意志と関係なく襲ってくる幸福=運命の奴隷」の話にシフトしたのがあまりにも巧すぎるジョジョ二次創作でかなり感服した。それに対する岸辺露伴のキレと、運命への立ち向かい方の提示が良すぎた。
ニャアン、マチュの居場所も自覚なく高速で奪ったし、エグザベの自負もあっという間に打ち砕いたし、割と秋葉流っぽい位置取りをしている。
その後の竹内アウトでのショック顔も含めて良い。自分が割って入ったことで夢を掴めなかった者が出たことの重みも、背番号10として背負うことになる。いつもみたいに大声で「生きていて申し訳ない!俺のせいで!!」とか騒ぎ立てないあたりに余計深刻さを感じる。
今日オーディブルで聴いてたやつで「それは◯◯にとって『おこの沙汰』であったろう」というフレーズが出てきて、「憤怒なのか?」となったが。
調べてみたら「烏滸の沙汰(大変馬鹿げている様子の意)」だったので、知らん単語と出会う機会はいつまでもあるよなと思った。
#おこがましいのおこなのね
「四部の杜王町は住みたいけど八部杜王町は住みたくない」という感情、「カツアゲロードやミラグロマンがいるから」だと思ってたけど、治安でいえばどっこいなのでちょっと違うかなと思った。四部杜王町は登場人物がやたら杜王町を愛したり褒めたりしてるから、そこに同期して読者も好きになるんだな。