仏教において、死者の転生先の結果が出るのが四十九日と言われている。
死者の申し開きを全て聴いた後で閻魔様は「お前は生前に嘘をついたことはあるか?」とひとつだけ質問するのだそうだ。
死んでまで保身に走る人間かどうかを判断するのだとか。
親父殿は正直に答えて極楽に行けたかしら…?
自動車で長距離移動していたら、よく分かる…
本日もめちゃくちゃ黄砂が飛んでる。
すな(砂)おに、こうさ(黄砂)んするので、
砂を飛ばすのはやめてください。
さすがに、これ以上はキレますよ?
仏の顔もサンド(砂)までってね…
謝罪ってのは当人が本気で悔い改めた時に全身全霊で行うものだと思っている。
まして、言葉だけで「反省した」と言えば終了するものではない。
最近は自己保身見え見えのパフォーマンス謝罪が多過ぎて、本当に閉口してしまいます。
世の中なんて屁の河童。
上手くいったら天狗笑い。
ダメになったら雨女みたいに盛大に泣く。
そんでもって泥田坊のようにすぐに復活。
気の向くままに開き直って、全力で生きるのが妖怪流。
仏教的観点だと金や地位や名誉から得られる幸福は、自分のまわりを飾り立てるだけのもので、真に幸福は得られないそうだ。
実際の幸福とは、自身の内側から満たされるものでなければならない。
それはつまり心地良き睡眠から得られる幸福なのだ!…と、思う…
極端なことを言えば、言葉なんて人間の口から出て来るただの音だ。
そして、文字はそれらの言葉を表現する記号に過ぎない。
しかし、それらが意味を持つと凄まじい効力を発揮する。
特に悪意が込められた時、誹謗中傷罵詈雑言となって他者の心身を脅かす…
おそろしや。
頑張って努力することは当たり前だけど、自分の心身を削ってまでもする努力は毒にしかならない。
ただでさえ、しんどい世の中だ。
腹八分目みたいに努力も八分目。
それくらいでちょうど良い。
人間の生き方が得か?
それとも妖怪の生き方の方が得なのか?
そんなの両方の立場になってみなけりゃ、わからないのだ!
年齢を重ねるにつれて、何でもかんでも清廉潔白で切実剛健という非現実的なヒーローよりもねずみ男みたいに人間くさくて憎めない存在の方が好きになってくるから不思議だ。
ヒーローを夢見た少年時代が過ぎ、社会に出て大人になると等身大のキャラクターに感情移入しやすくなるからだろうか?
立場や間柄なんて関係ありません。
感謝の気持ちや謝罪の気持ちはすぐに相手に伝えるべきです。
それらを伝え損ねた事で一生後悔する事もあるのですから…
人間と妖怪の特性を合わせ持つ半妖怪であるねずみ男。
設定としては物語の主人公を張れそうな設定なのに、なんだか色々と残念である。
まあ、そう言った部分も含めてねずみ男の魅力なのだが…