原作の中でねずみ男がいつも言っている「今現在を楽しめば、それで良い」という言葉。
鬼太郎の生真面目さに対する対比的な言葉として捉えられがちだが、やたらと過去や将来に執着している現代人にとっては的確なアドバイスなのかもしれない。
実際に、お釈迦さまも同じような言葉を残している。
自分くらいの歳になると、腹を立てるだけでも、かなりしんどいのだ。
血圧が上がる。
頭痛がする。
自己嫌悪でメンタルがガタガタになる。
最悪である。
腹が立ったら、ひと呼吸おいて、冷静に自分が怒っていることを自覚する。
これだけで、冷静に立ち回れるのだ。
運、不運はコインの裏表みたいなものだ。
上手くいっても調子に乗らず、思い通りにならなくても悲観せず。
結果をあるがままに受け入れ、前向きに生きていれば、幸運の方から寄って来るのだ。
何かを手に入れることこそ幸福という風潮が強い昨今…
しかし、手にするものが増えるほど、更に欲の皮が突っ張る。
手に入れたものを失う恐怖を感じる。
そもそも、ものが多くて動けやしない。
むしろ、手放すことの方が幸福に通ずるのだ。
「執着を手放した究極の姿こそ骸骨なのだ!」by一休禅師
ねずみ男のように悪い事をしたら、すぐにバチが当たるって事は少ないけれど…
因果応報は必ずあります。
仏教では善行や悪行を種蒔きに喩えます。
蒔かれた種から収穫するまで時間はかかりますが、必ず蒔い種の分だけ実がなります。
最近のニュースでも昔の悪行が返ってきてる人の話題が多いですよね。
親切や気遣いも、度が過ぎれば、心が疲弊してしまう。
自分自身が負担にならない程度で、余裕がある時に実践するくらいでちょうど良いのだ。
真面目に生きているのに貧乏くじをひくことが多いのが世の常。
だからって、そのことに腐って、狡い立ち回りをすれば、地獄に一直線だ。
貧乏くじだって、たくさん集めていれば、幸福行きの切符に交換出来ると思って、誠実に生きていけば良い。
自己犠牲よりも自己愛を大切に…
こう言った内容はねずみ男みたいなタイプに諭された方が説得力があるように思える。
自己愛の塊みたいな存在だが、純愛や家族愛、友情にあつい場面を時折見せるのがねずみ男の魅力だしね…
本日放送された「おばけナイター」にて野球の試合でハッスルプレーを見せた鬼太郎。
しかし、その後のゲゲゲの鬼太郎では、野球に対して冷めた意見を持っているように描かれていた。
その気になれば、走攻守が揃った最上の野球選手になれるだろうに…
更に、怪我にも滅法強い!
勿体無いなぁ…