久秀は敬虔な仏教徒だったそうで、大仏を燃やすメリットがありません
結果的に引火した火で焼失してはいますが
「下剋上の代名詞」
「裏切り者」
「梟雄/きょうゆう 残忍で強い人」
などと言うレッテルを貼り付ける為、後世の脚色家が大仏を燃やすぶっ飛んだ久秀を描いた、と言う方が腑に落ちます
この風呂敷が広く人々に広まるのですが、その中でも、おめでたい模様として唐草の吉祥文様が使われるようになりました
当時は婚礼道具や夜具地(布団)を包む事もあったようです
なお、泥棒が手ぶらで侵入し盗んだ家財を家の風呂敷を使った事から、唐草風呂敷は泥棒のトレードマークとなったようです
明治政府による改革の一つに地租改正があります。
それまでの日本ではお米に貨幣価値を持たせ、年貢による税の取立てを行っていた訳ですね
しかしお米には豊作・不作があるので、これ即ち税収が不安定になる事に繋がります
そこで、その土地の価値を算出し金納させる事にしたのです
粛親王は自身の子らを日本に留学させていて、芳子(顯㺭)を子供のいない浪速の養子に託しました
2人の父親から、満州建国の意味を語られ育った芳子は断髪し「男として生きる」決意をしたと言います
皇室出身の血統やその出自から、マスコミで持て囃され新しいアイドルのように話題になったそうです